東八幡八坂神社。東八幡(旧八幡村)の鎮守
東八幡八坂神社の概要
東八幡八坂神社は、平塚市東八幡にある神社です。東八幡八坂神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には平塚八幡神社を総鎮守とし、当社は小鎮守として祀られていたといいます。
社号 | 八坂神社 |
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祭神 | 須佐之男命、大山祇命、建御名方命、天照皇大神、建三熊命 |
相殿 | - |
境内社 | 山王社・御嶽社、稲荷神社 |
祭日 | 例大祭7月14日 |
住所 | 平塚市東八幡2-6-5 |
備考 | - |
東八幡八坂神社の由緒
東八幡八坂神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には平塚八幡神社を総鎮守とし、当社は小鎮守として祀られていたといいます。
新編相模国風土記稿による東八幡八坂神社の由緒
(八幡村)
牛頭天王社
村鎮守なり(平塚新宿八幡を、八幡庄の總鎮守とする故、當社を小鎮守と稱す、)、六月七日より十四日迄祭禮あり、泉蔵院持、下同じ、
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神明社
諏訪社
熊野社
稲荷社
山王社
道祖神社(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による東八幡八坂神社の由緒
天王様と呼び奉り当地方の尊信を集めている。『新編風土記』には「当社を八幡村の小鎮守とする。新宿八幡神社を近村の総鎮守とするに依る。牛頭天王社と申す」と見え、なお八幡村に就き、「八幡ノ庄の本村にして(中略)平塚新宿は正保応安の頃は八幡新宿と称へたれば古は当村に属したるなるべし」とある。大正十一年四月十二日、日枝神社を合併し、昭和二十年七月十六日夜の空襲で殿舎ことごとく焼失したが神輿だけは、相原富蔵、相原周蔵、平野寅司の三名と附近の婦人五、六名が力を合せて安全な場所に移し奉ったので焼失はまぬがれた。この献身的な働きは氏子は勿論、近郷の人々の口に上り今も賞讃、感激の美談として伝えられている。社殿は昭和二十四年七月再建され、昭和二十七年五月二十八日川除稲荷神社を合併した。この稲荷社は天文十九年相模川が大増水した折、八幡村の沿岸丘阜がはげしく欠け崩れ集落に水勢が迫ったが神明の加護で難をまぬがれた。人々は神徳に感謝し、その断崖に稲荷大神を祀って、川除稲荷と申しあげたと言われ今も二月十一日地区中で祭礼を行う。又この社の境内に明治初年周囲三米余の松の大木が繁っていたことが、明治六年八幡邸地券地図、明治八年編皇国地誌残稿にとりあげられ知られている。
八坂神社の祭礼は七月九日神輿拝殿奉安が執り行われ、本祭十四日は近年特に殷賑を加えている。(神奈川県神社誌より)
東八幡八坂神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌