高間山泉蔵院。東八幡八坂神社のもと別当寺
泉蔵院の概要
高野山真言宗寺院の泉蔵院は、高間山無動寺と号します。泉蔵院は、儀円大僧正が応永5年(1398)に創建、成事智院泉蔵坊として平塚八幡宮の供僧を兼帯、東八幡八坂神社の別当を務めていたといいます。相模川の氾濫により当地へ天正年間(1573-1593)に移転しています。
山号 | 高間山 |
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院号 | 泉蔵院 |
寺号 | 無動寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 平塚市東八幡4-10-12 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泉蔵院の縁起
泉蔵院は、儀円大僧正が応永5年(1398)に創建、成事智院泉蔵坊として平塚八幡宮の供僧を兼帯、東八幡八坂神社の別当を務めていたといいます。相模川の氾濫により当地へ天正年間(1573-1593)に移転しています。
新編相模国風土記稿による泉蔵院の縁起
(八幡村)
泉蔵院
高間山無動寺と號す、古義真言宗(平塚新宿等覺院末、)、開山義圓(寛永七年三月三日卒、)、本尊不動、當寺は平塚新宿、八幡宮の供僧を兼帶す、(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による泉蔵院の縁起
縁起
高間山無動寺泉蔵院と称し、不動明王を本尊として安置。
応永五年(一三九八)儀円大僧正の開山創建なり。元八幡神社別当成事智院泉蔵坊として供僧を兼帯、現八坂神社を兼務する。元八幡小字高間に在りたるも、天正年間、相模川の氾濫により現在地に移転、寛政五年の火災に八間四面本堂、薬師堂、山門を消失。阿闍梨周雄代に復興も、明治三十年八幡の大火に亦々類焼、明治三十六年堂宇再建。大正十二年関東大震災の為に全壊す。昭和十年再建す。平成二十四年十一月再建す。(境内掲示より)
泉蔵院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿