野川神明社。旧韋駄天社、諸社を合祀して神明社と改称
野川神明社の概要
野川神明社は、川崎市宮前区野川にある神社です。野川神明社の創建年代は不詳ながら、縄文時代より定住が進んでいた地域であることから、古くの創始が考えられるといいます。江戸期には韋駄天社と称していたといい、明治41年、韋駄天社・子神社、神明社、第六天社が併合、神明社となったといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照皇大神、伊邪那諾尊、伊邪那冉尊、素盞嗚命、大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 10月10日 |
住所 | 川崎市宮前区野川463 |
備考 | 旧村社 |
野川神明社の由緒
野川神明社の創建年代は不詳ながら、縄文時代より定住が進んでいた地域であることから、古くの創始が考えられるといいます。江戸期には韋駄天社と称していたといい、明治41年、韋駄天社・子神社、神明社、第六天社が併合、神明社となったといいます。
新編武蔵風土記稿による野川神明社の由緒
(上野川村)韋駄天社
村の艮の方にあり、上野川の内なり、内陣二間半四方拝殿四間に三間南向なり、前に木の鳥居を建總村の鎮守にて、例祭は年々九月二十三日、神供免畑一町餘、見捨地あり鎮座の年代を傳へず、上野川西蔵寺持。
子の神社
村の西境新田の間にあり、前に鳥居を建、身體は石像にて長一尺許、例祭は十月四日にて、神明と隔年なり、西蔵寺持。
神明宮
村の東の方字領家谷にあり、又此地を一に影向寺臺と呼べり、前に木の鳥居をたつ、例祭は前に辨じたる如く子の神と隔年に行はる、是も西蔵寺持
第六天社
上野川の内にて村の東方によりてあり、僅なる祠なり(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による野川神明社の由緒
当社は元韋駄天社と称し、明治三年五月村社より雑社となり、同年改めて村社に列せられ神明社となる。明治四十一年十月無格社八坂神社及び子神社を合併し、正和十五年十月弊帛料供進神社に指定された。
新編武蔵風土記稿上野川村及下野川村の条に「韋駄天社、村の艮の方にあり、上野川の内なり、内陣二間半四方、拝殿四間に三間、南向なり、前に木の鳥居を建つ、総村の鎮守にて例祭は年々九月二十三日、神供免、畑一町余見捨地あり、鎮座の年代を伝へず、上野川村西蔵寺持」。なお「神明宮、村の東の方字領家谷にあり、又此地を一に影向寺台とも呼べり。前に木の鳥居をたつ」とある。(神奈川県神社誌より)
境内石碑による野川神明社の由緒
多摩川の西岸に位する野川の土地は古くより人が居住し風光明美、地味は肥沃にして産物が豊かであった。縄文・弥生文化の遺跡も極めて多く、壱千余年の歴史を有する古刹影向寺と共に各集落氏神として韋駄天社、八坂神社、子神社は遠近の信仰篤く栄えてきた。明治維新により明治三年五月神明社は村社に列格、明治四十一年に三社を合併、野川の総鎮守となった。昭和十五年指定村社、昭和二十五年国家より境内地譲與を受け、昭和二十八年宗教法人「神明社」となる。(境内石碑より)
野川神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌