馬絹神社。もと女体権現社、馬絹村の鎮守
馬絹神社の概要
馬絹神社は、川崎市宮前区馬絹にある神社です。馬絹神社の創建年代等は不詳ながら、女体権現社と称し、馬絹村の鎮守社で、元禄年間(1688-1704)以前の創建だといいます。明治43年に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の四社を併合して神明神社に改称、村社に列格、昭和61年に馬絹神社と改称したといいます。
社号 | 馬絹神社 |
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祭神 | 伊邪那美命、大山祇命、菊理姫命、応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社、秋葉神社 |
祭日 | 10月15日 |
住所 | 川崎市宮前区馬絹986 |
備考 | - |
馬絹神社の由緒
馬絹神社の創建年代等は不詳ながら、女体権現社と称し、馬絹村の鎮守社で、元禄年間(1688-1704)以前の創建だといいます。明治43年に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の四社を併合して神明神社に改称、村社に列格、昭和61年に馬絹神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による馬絹神社の由緒
(馬絹村)
女體権現社
村の東の方にあり、垂迹は伊弉諾尊とも、又は伊勢太神宮なりとも云て定がならずと云、本地は阿彌陀なり、神體は長八寸許左手に巻物を持、右手に笏を持て装束したる立像なり、按に昔伊勢太神宮遥拝の為に此社を建しにや、字に神戸など云所あれば、此の邊は其神領なりしと思はる、本社は僅なる祠にて拝殿三間に二間、村の總鎮守にして例祭年々九月廿二日なり、社前に石の鳥居を建、柱間八尺、泉福寺持。
末社。神明社、本社に向て左の後なり。秋葉社、本社の右の方丘上にあり。
熊野社
村の艮の方にあり、例祭は十月廿一日、村内三島明神と隔年なり、泉福寺持。
八幡社
村の西の方土橋と入會地にあり、川勝主税が采地に屬せり、前にいへる如く二社の地域混じてあり、當村の地三畝地頭の免除なり、社前に拝殿あり一間半に二間南に向ふ、例祭九月十二日村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による馬絹神社の由緒
本神社は元女躰神社と称したが、明治四十三年二月十五日八幡神社・熊野神社・三島神社・白山神社の四社を合併して社名を神明神社と改称した。(神奈川県神社誌より)
境内石碑による馬絹神社の由緒
馬絹神社の創建は、江戸元禄時代以前と伝えられています。元は、女体神社と称され、古くから地元の氏神として崇敬されてきました。
御祭神は、伊邪那美命。この国を始め数々の神々を生み出した女神で、縁結び、開運招福、安産、五穀豊穣の神として祀られています。
馬絹の地は、縄文、弥生時代の遺跡が発掘されたり、当社隣接地に七世紀頃の馬絹古墳(神奈川県指定の貴重な史跡)が所在し、中世には稲毛庄馬衣郷とも呼ばれ、地名の言われにもなっているなど、古代からの長い歴史を持っています。馬絹神社は、馬絹の平台、寺台、矢尻、矢中、川端、日向根、宮本の各地域と旧馬絹の小台、大塚、宮崎の地域、及び昭和十六年軍用地接収により、移転を余儀なくされた現在の三ツ又地蔵の人々の氏神として崇敬奉賛されてきました。
明治四十三年、近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の四社を併合し、神明神社に改称されました。この時、旧三ツ又地域の熊野神社の土地が加わり、現在の広大な境内地が確保され、村社となりました。昭和五十四年に神楽殿、六十一年に総檜造りの本殿を造営し、社号も神明神社から馬絹神社に改称され、重厚壮麗な姿で今日に至り、人々に篤く親しまれています。又境内には昔、村の社であった八坂神社、秋葉神社も祀られています。近年、勇壮美麗な大神輿が奉納され、秋季例大祭を始め恒例の様々な祭礼が盛大に行われ、多くの参拝者が訪れています。(境内石碑より)
馬絹神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌