宮内春日神社。荘園稲毛荘の領主藤原氏九条家の氏神を祀る、旧宮内村の鎮守
宮内春日神社の概要
宮内春日神社は、川崎市中原区宮内にある春日神社です。宮内春日神社の創建年代は不詳ですが、平治元年(1159)-承安元年(1171)の頃、現在の中原区の宮内から井田の地域にかけて稲毛荘とよばれる荘園が成立、領主であった藤原氏九条家の氏神である大和春日大社(奈良県)の祭神を勧請して創建したと考えられています。当地旧宮内村の鎮守となっていました。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 天津児屋根命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭10月9・10日 |
住所 | 川崎市中原区宮内4-12-2 |
備考 | 旧宮内村の鎮守 |
宮内春日神社の由緒
宮内春日神社の創建年代は不詳ですが、平治元年(1159)-承安元年(1171)の頃、現在の中原区の宮内から井田の地域にかけて稲毛荘とよばれる荘園が成立、領主であった藤原氏九条家の氏神である大和春日大社(奈良県)の祭神を勧請して創建したと考えられています。当地旧宮内村の鎮守となっていました。
新編武蔵風土記稿による宮内春日神社の由緒
(宮内村)春日社
村の東の方字高瀬と云所にあり。村の鎮守なり。勧請年歴をしらず。社5間に3間南向なり。神体は赤童子なり。木の立像2尺許。この神体昔は画像にていと古き物なりしを、近き頃其形を彫刻せしと云。例祭は年々10月1日なり。社頭に木の鳥居をたつ。
本地堂。本社に向て左にあり。本地薬師木の坐像長3尺許。堂は1間半に2間なり。
末社八幡牛頭天王稲荷合社。本社に向て右にあり。
(宮内春日神社)別当常楽寺
社地のつづきにあり。新義真言宗小杉村西明寺の末。春日山医王院と号す。開山は行基菩薩なりと云。本堂11間に7間南向なり。本尊大日木の坐像にて長2尺許。縁起もあれどもつとも信ずべからざることのみなればはふぎて載す。されど応永年中の鰐口等ものこりしを見れば、古社なることは疑ふべからず。
寶物
鰐口一口。これは昔神社に掛置しものなり。その図上の如し。
獅子木像二頭。いかなることに用ひしや由緒詳ならず。木は檜などの如く木理ありて古質にみゆ。
石櫃。本社の後にあり。神霊いとあらたなれば近づくときは祟ありとてあへて近づくものなし。苔むし埋りければおのづから朽て今は其形も見えず。二十年前までは僅に見えたりと云。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による宮内春日神社の由緒
創建年代は詳らかでないが、近年発見された「武蔵国稲毛本荘検注目録」に「平治元年御検注定、春日新宮免二町」と書かれ、平安時代には鎮座していたことが判明した。社伝によると、境内に鹿を放し「関東の春日様」と呼ばれ多くの参拝者で賑わったと伝える。又本殿蓑に昔から不思議な力をもつ石があり、これに触れると崇りがあると云われていた所より、石棺が発掘され、勾玉、管玉、高坏、須恵器等の祭祀遣物が出土している。現在の社殿は昭和三十五年に改築した。(神奈川県神社誌より)
宮内春日神社の周辺図
- 応永10年の鰐口(神奈川県指定重要文化財)
- 春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺(川崎市重要史跡)
応永10年の鰐口
春日神社には、室町時代の応永10年(1402)に鋳造された青銅製の鰐口が伝えられています。
これには次のような銘文が刻まれています。
奉施入武蔵立華郡稲毛木(本)庄春日御宮鰐口
応永十年癸未五月下旬旦那藤原朝臣氏景大夫繁森
この銘文から、藤原氏景・繁森の両名が施主となって春日御宮、すなはち春日神社に奉納したことがわかります。この鰐口は、昭和44(1969)年12月2日、県重要文化財に指定されています。(川崎市教育委員会掲示より)
春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺
市重要史跡 春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺
自然堤防上に営まれたこの地域は、古代から豊穣な土地でした。
平安時代末期の平治元年(1159)-承安元年(1171)の頃、現在の中原区の宮内から井田の地域にかけて稲毛荘とよばれる荘園が成立し、荘園の鎮守として「春日新宮」が造立されました。これが現在の春日神社の前身で、荘園の領主である摂関家・藤原氏九条家の氏神である大和春日大社(奈良県)の祭神を勧請したものと考えられています。時代を経て江戸時代頃からは、宮内村の鎮守として、現在に至っています。
また、隣接する常楽寺の境内からは古墳時代の土器のほか、硬玉製の勾玉が伝えられていますので、この春日の森は古代から村人たちの信仰を集めていたことがうかがわれます。
川崎市教育委員会は、こうした歴史を伝える春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺を昭和44(1969)年12月4日、市重要史跡に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)
宮内春日神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌