常楽寺。玉川八十八ヶ所霊場、まんが寺
常楽寺の概要
真言宗智山派寺院の常楽寺は、春日山医王院と号します。常楽寺は、聖武天皇の直願所として行基菩薩が創建したと伝えられ、平治元年(1159)には宮中の祈願所となったといい、隣接する宮内春日神社の別当を務めていました。昭和43年の本堂改修の際には、まんが好きの和尚を慕って、漫画家達が本堂の襖や壁画にまんがを奉納、まんが寺と呼ばれるようになったといいます。玉川八十八ヶ所霊場26番となっています。
山号 | 春日山 |
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院号 | 医王院 |
寺号 | 常楽寺 |
本尊 | 金剛界大日如来像 |
住所 | 川崎市中原区宮内4-12-14 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場26番 |
常楽寺の縁起
常楽寺は、聖武天皇の直願所として行基菩薩が創建したと伝えられ、平治元年(1159)には宮中の祈願所となったといい、隣接する宮内春日神社の別当を務めていました。昭和43年の本堂改修の際には、まんが好きの和尚を慕って、漫画家達が本堂の襖や壁画にまんがを奉納、まんが寺と呼ばれるようになったといいます。
新編武蔵風土記稿による常楽寺の縁起
(宮内春日神社)別当常楽寺
社地のつづきにあり。新義真言宗小杉村西明寺の末。春日山医王院と号す。開山は行基菩薩なりと云。本堂11間に7間南向なり。本尊大日木の坐像にて長2尺許。縁起もあれどもつとも信ずべからざることのみなればはふぎて載す。されど応永年中の鰐口等ものこりしを見れば、古社なることは疑ふべからず。(新編武蔵風土記稿より)
常楽寺所蔵の文化財
- 木造・聖観世音菩薩立像(川崎市指定文化財)
- 木造・釈迦如来坐像(川崎市指定文化財)
- 木造・十二神将立像(川崎市指定文化財)
- 春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺(川崎市重要史跡)
木造聖観世音菩薩立像、釈迦如来坐像、十二神将立像
常楽寺の文化財
当寺は、真言宗智山派に属しています。
当寺には、数多くの文化財が所蔵されており、川崎市教育委員会は、つぎの仏像を川崎市重要歴史記念物に指定しています。
木造・聖観世音菩薩立像は、一木造・彫眼で、平安時代末期(十二世紀ごろ)の制作です。
木造・釈迦如来坐像は、寄木造・玉眼で、室町時代(十四世紀ごろ)の制作です(以上、昭和43年2月10日制定)。
木造・十二神将立像は、寄木造・玉眼で、室町時代(十五世紀ごろ)の制作です。なお、この十二体には、墨書された木製銘札が納入されており、それによって願主や修理の経過等、宮内地区を中心とする庶民信仰の歴史を知ることができます。
多摩川右岸の沖積地に位置する、ここ”春日の社”には、当寺および春日神社にちなむ古い歴史と豊かな社叢(川崎市重要史跡・天然記念物)がのこされています。(川崎市教育委員会掲示より)
春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺
市重要史跡 春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺
自然堤防上に営まれたこの地域は、古代から豊穣な土地でした。
平安時代末期の平治元年(1159)-承安元年(1171)の頃、現在の中原区の宮内から井田の地域にかけて稲毛荘とよばれる荘園が成立し、荘園の鎮守として「春日新宮」が造立されました。これが現在の春日神社の前身で、荘園の領主である摂関家・藤原氏九条家の氏神である大和春日大社(奈良県)の祭神を勧請したものと考えられています。時代を経て江戸時代頃からは、宮内村の鎮守として、現在に至っています。
また、隣接する常楽寺の境内からは古墳時代の土器のほか、硬玉製の勾玉が伝えられていますので、この春日の森は古代から村人たちの信仰を集めていたことがうかがわれます。
川崎市教育委員会は、こうした歴史を伝える春日神社・薬師堂・常楽寺境内およびその周辺を昭和44(1969)年12月4日、市重要史跡に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)
常楽寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿