香林寺。武州稲毛七福神の布袋尊
香林寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の香林寺は、南嶺山と号します。香林寺は、南樹宝泉大和尚(天文23年1554年寂)が開基となり、高林坊と号して大永5年(1525)に創建したといいます。武州稲毛七福神の布袋尊です。
山号 | 南嶺山 |
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院号 | - |
寺号 | 香林寺 |
住所 | 川崎市麻生区細山3-9-1 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
香林寺の縁起
香林寺は、南樹宝泉大和尚(天文23年1554年寂)が開基となり、高林坊と号して大永5年(1525)に創建したといいます。香林寺の本尊十一面観音菩薩は、準西国稲毛三十三観世音霊場3番です。
新編武蔵風土記稿による香林寺の縁起
(細山村)香林寺
字坂東にあり、臨済宗相州鎌倉建長寺の末、南嶺山と號す、文禄三年の水帳には高林坊と記せり、其頃は観音の別當所なりしと云、其後一寺となりしはいつの頃にや詳ならず、高林坊の開基は僧南樹にて天文二十三年四月二十六日寂せりと云、按に観音の縁起は文明元年にかきしものなればこの堂のたちしは猶ふるき代のことなるにや、客殿六間半に五間半本尊十一面観音を安ず、これを身替観音と號す、これ前にいへる昔の観音堂の本尊なり、縁起の文に云、
十一面観音菩薩、弘法大師一刀三體造立、寳亀七丙辰歳因幡之國高草郡在清水長者、此奉観世音信心或時其家夜盗入數多人被殺、女盗賊立合面二ヵ所得痕痕轉倒時、奉念観世音、翌日則奉見尊面二ヵ所在痕、依之身替観世音菩薩云々、文明元歳霜月五日
この文によりても古佛なることしるべし、門は東向にて前に石階七級あり。
観音堂。門を入て左にあり、二間に三間の堂にて北向なり、この堂もとは本尊観音のために造立せしなれど、今はかの像を客殿へうつせし故この堂には本尊なし。
古碑四基。一は観音堂の前にあり、永仁三年閏二月十九日とあり、その餘三基も境内にあり、一は貞和四年十一月日と刻す、一は梵字を彫て下に應永十七年六月二十一日智仙禅門とあり、一は文字摩滅したれど明徳二年の四字ほのかに見ゆ。(新編武蔵風土記稿より)
香林寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿