秋月院。川崎市宮前区にある曹洞宗寺院

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秋月院。準西国稲毛三十三観世音霊場

秋月院の概要

曹洞宗寺院の秋月院は、長澤山と号します。秋月院は、大木頼母之助が草創した庵室に、片山圖書夫婦(法名秋月月心)が天正18年(1590)当地へ隠居し庵室の体裁を整えたといいます。東泉寺第二世石岑を開山とし、片山圖書の子孫片山彌兵衛某(法名仙壽院秋月眞惠法印)を開基とするといいます。準西国稲毛三十三観世音霊場11番です。

秋月院
秋月院の概要
山号 長澤山
院号 秋月院
寺号 -
住所 川崎市宮前区菅生2-28-1
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



秋月院の縁起

秋月院は、大木頼母之助が草創した庵室に、片山圖書夫婦(法名秋月月心)が天正18年(1590)当地へ隠居し庵室の体裁を整えたといいます。東泉寺第二世石岑を開山とし、片山圖書の子孫片山彌兵衛某(法名仙壽院秋月眞惠法印)を開基とするといいます。

新編武蔵風土記稿による秋月院の縁起

(下菅生村)秋月院
字長澤にあり、曹洞宗平村東泉寺末、長澤山と號す、元禄五年に記せし縁起あり、その略に云、小田原北條家人大木頼母之助と云ものあり、天正元年地震せしとき家つぶれて夫婦ともに厭死せり、その子主馬之助無情を感じ、頓て一片の烟となして父が守本尊の釋迦の像とともに、かの遺骨を背負ひて諸國を廻り、その後高野山に納め、その身は道心者となりて此地に庵をむすべり、その子孫慕ひ来て孝養を盡せり、ここに片山圖書と云しものも小田原家人なりしか、天正十八年落去の後郡内平村に隠居せり、いかなる故にや山田彌右衛門と云ものを聟として、かの地へとどめ、その身は兩人の男子をつれて當所へうつれり、文禄年中圖書歿せしかば、かの大木入道が庵の側に葬り、墓守として仙住坊と云真言宗の道心者を大木か庵のあとへ住ましめり、これよりかはせり、圖書夫婦が法名を秋月月心といひしによりて院號とせり、此時かの大木が子孫その祖の舊蹟なるをもて、己が開發の田若干を寄附せり、その後寛永年中に本尊釋迦佛をはじめ回禄にかかりて失へり、その後三瀧と云僧寺地を今の地へ移せしは正保年中のことなり、延寳年中牛波と云僧のとき又焼失えり、今は准胝観音を本尊とす、これはもと松平土佐守が息女法諡泡影院観窓幻大姉の護持の霊佛なりしが、大姉延寳八年六月二十一日沒せし後縁故ありて、乞て當院の本尊とせしは元禄十二年のことなりと云、今も崇敬して龕に納めて常に開かず、前立の彌陀の木像長五尺ばかりなり、客殿は六間半なり、開闢の事實は前の如くにして、今本山の第二世石岑を開山とし、片山彌兵衛某法諡仙壽院秋月眞惠法印を開基とす、この法印は寛永四年十一月六日歿せしと云、縁起にいへる片山圖書が子孫なるべし、圖書が法名の字をふたたび法名とせしことあやしむべし。(新編武蔵風土記稿より)


秋月院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿