了源寺。川崎市幸区にある日蓮宗寺院
了源寺の概要
日蓮宗寺院の了源寺は、頂龍山と号します。了源寺は、日境の師日啓(寛文3年1663年寂)を勧請開山として、妙海寺四世日境(貞享3年1686年寂)が寛文8年(1668)に開山したといいます。
山号 | 頂龍山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 了源寺 |
住所 | 川崎市幸区北加瀬1-13-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
了源寺の縁起
了源寺は、日境の師日啓(寛文3年1663年寂)を勧請開山として、妙海寺四世日境(貞享3年1686年寂)が寛文8年(1668)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による了源寺の縁起
(北加瀬村)了源寺
村の南加瀬山の上にあり、法華宗にて久良岐郡杉田村妙法寺の末、頂龍山と號す、當寺は寛文八年日境といへる僧開山せしに、をのれ其任にたえずとて師の日啓をもて勧請開山とせり、この僧は寛文三年八月二十一日寂し、日境は貞享元年三月五日示寂なりと云、客殿八間に六間東向、本尊三寳を安ぜり、按に前村妙法寺舊蹟の條に引たる村内里正の記録にのせる如く妙法寺は不受不施のことをもて寛文年中廃地となり、木月村妙海寺の預りとなり、同き八年日啓といへる僧この寺を開基せしと、しかるを爰に日啓は寛文三年寂せしと云は事實合さるに似たり、されど其實は日境開基の師をもて勧請せしゆへなるは前に見へたり。
鬼子母神社。門を入て左の方にあり、二間四方神體立像三寸、いつの頃にか洪水のをり苅宿村の村童此神體を拾ひ得たるをここにをけり。(新編武蔵風土記稿より)
了源寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿