東明寺。徳川家康命名の寺院
東明寺の概要
浄土宗寺院の東明寺は、摂取山浄土院と号します。東明寺は、天正17年(1589)、浄土真宗の僧浄円が当地に住み浄円坊と称していましたが慶長15年(1610)に入寂、後に増上寺の貞蓮が止住、慶長18年(1613)、徳川家康が鷹狩りのため小杉の西明寺に泊まった際、給仕にあたった貞蓮が家康から身分を問われ、東にある小庵の主と答えたところ、徳川家康より東明寺と号すよう拝命、貞蓮が開山となり一寺となったといいます。
山号 | 摂取山 |
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院号 | 浄土院 |
寺号 | 東明寺 |
住所 | 川崎市幸区塚越2-118 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東明寺の縁起
東明寺は、天正17年(1589)、浄土真宗の僧浄円が当地に住み浄円坊と称していましたが慶長15年(1610)に入寂、後に増上寺の貞蓮が止住、慶長18年(1613)、徳川家康が鷹狩りのため小杉の西明寺に泊まった際、給仕にあたった貞蓮が家康から身分を問われ、東にある小庵の主と答えたところ、徳川家康より東明寺と号すよう拝命、貞蓮が開山となり一寺となったといいます。
新編武蔵風土記稿による東明寺の縁起
東明寺
村の北にあり。浄土宗にて江戸芝増上寺の末寺なり。摂取山浄土院と号す。起立の由来と尋ぬるに、天正17年同領の内下平間村より浄円と云僧来りて庵を結べり。彼は浄土真宗なりしが、いと寂寥の身にして僅に幽棲の地としければ、定まれる寺号もなく人読でただ浄円坊とのみいへり。かくて22年を経て死す。是慶長15年の事なり。かの跡の庵へは同年浄土宗の僧貞運と云もの来りて住せり。此僧は当国足立郡桶川宿の人にて多年増上寺にありて学問せしものなりしとぞ。同18年の頃東照宮御放鷹の時、領中小杉村西明寺へ渡らせ結ひしに、貞運午前近く侍りて御給仕をつとめし時、いかなるものにやと御尋ありけるに、貞運が御答に拙僧は此あたりに小庵を結ひ住るものにて候よし謹で啓しければ、共庵室ここより東に当れば是より東明寺と号せと宣ひしに、貞運謹で御うけ申て是より山号院号をも定めしとなり、此貞運当寺に住すること僅に五年にして、同き十九年正月十六日寂せり。今是を開山とせり。元和年中二世法誉文明と云僧住せし時、かの東照宮の忝き上意を思ひ、増上寺へ其事を告て末寺となりしより。今に至るまで替らず、本尊弥陀坐像にて長2尺5寸許、客殿は6間四方西向にて向拝を設く。又地蔵の画像あり。絹地にて長3尺3寸程1尺7寸許、画像は蓮華台の上に立る像にして其上下に雲を書き、上の方には日輪あり小野道風の筆なりと云傳ふ。いと古色に見ゆ。籠に蔵て客殿の右の方に安ず。門は客殿の正面にあり。
観音堂。門に入て左にあり。9尺に2間南に向へり。七観音の像を安ず。中尊は長2尺許其余は皆1尺除何れも立像なり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による東明寺の縁起
東明寺と酒づくりの絵馬
もとは、東京芝増上寺の末寺で、天正17(1589)年、浄円がここに住み、のちに増上寺の貞蓮が止住。東明寺の名は、慶長18(1613)年、徳川家康が鷹狩りのため小杉の西明寺に泊まった際、給仕にあたった貞蓮が家康から身分を問われ、東にある小庵の主と答えたところからその名がついた。現在、毎月3・8のつく日に開かれる灸施寮は、塚越の灸として著名である。
またこの寺には、江戸末期の作といわれる酒造りの過程を描写した絵馬が残っている。絵馬には、その頃、塚越村で最も大きな造り酒屋であった新開屋六右衛門の名もみられる。江戸時代における酒造りの様子をうかがい知る上で貴重な資料である。(境内掲示より)
東明寺所蔵の文化財
- 紙本着色閻魔府之図
川崎市教育委員会掲示による東明寺の文化財
東明寺の文化財
当寺には江戸時代後期に描かれたものと考えられる「紙本着色閻魔府之図」が所蔵されています。
本図は縦191cm、横154cmの大画面の上部に閻魔王を描き、使者の罪業を裁くための人頭杖や浄波瑠の鏡、眷族(従者)などを呈しながらもその表情は明るくユニークで、リズミカルな手の動きとともに叱咤の声が聞こえてくるようです。
中央には罪人の舌を抜く、釜で煮るなどの責め苦のほかに、修羅道を描いています。右上には不動明王、右下には賽の河原で石を積む子供達とこれを救済する地蔵菩薩、左下には女人が落ちる血の池地獄と如意輪観音が描かれています。
このように十王の中でも庶民に最も知られる閻魔王と、地獄を同画面に描くという構成により地獄の世界観を強調し、庶民の仏教への帰依を促したのでしょう。
また、仏教美術史の中で近世仏画は一般的に類型化が進んだものが多いとも言われますが、本図は鬼卒の明るい表情など、地獄絵の近世的な新しい展開として注目されます。
本図は、平成8(1996)年1月25日、川崎市重要美術品に指定されました。
なお、保存上の都合により、一般公開はしておりません。(川崎市教育委員会掲示より)
東明寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿