延命寺。川崎市高津区にある天台宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

延命寺。鼻取地蔵、準西国稲毛三十三観世音霊場

延命寺の概要

天台宗寺院の延命寺は、赤城山妙覺院と号します。延命寺の創建年代等は不詳ながら、村民某が先祖菩提の為に妙覺院と称して創建、赤城神社の管理をしていたといいます。住職泉海の代に天台宗寺院として開山、承応元年に(1652)赤城山妙覺院延命寺としたといいます。当寺の地蔵尊は鼻取地蔵と称され、悍馬を制するのに御利益があるといい、かつては奥州南部からも遥拝があったといいます。準西国稲毛三十三観世音霊場27番です。

延命寺
延命寺の概要
山号 赤城山
院号 妙覺院
寺号 延命寺
住所 川崎市高津区上作延204
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



延命寺の縁起

延命寺の創建年代等は不詳ながら、村民某が先祖菩提の為に妙覺院と称して創建、赤城神社の管理をしていたといいます。住職泉海の代に天台宗寺院として開山、承応元年(1652)に赤城山妙覺院延命寺としたといいます。当寺の地蔵尊は鼻取地蔵と称され、悍馬を制するのに御利益があるといい、かつては奥州南部からも遥拝があったといいます。

新編武蔵風土記稿による延命寺の縁起

(上作延村)延命寺
村の東字城山下にあり、天台宗多磨郡深大寺村深大寺末、赤城山妙覺院と號す、當寺開闢の由来を尋るに、村民某が先祖菩提の爲僅なる庵室を造立して其法諡を以號とし妙覺院と呼べりと、又釋迦堂と號して今の釋迦堂橋の邊に一宇の菴ありしを、元和元年に赤城社の麓に移し、此二つの菴を合せて一の坊とし菴主をして赤城の社務を司らしめけり、宗旨は天台宗にて時の住持を泉海と號せしとぞ、今此僧を以開山とせり、今の如く全く一寺となりしは第五世榮賢の時にて、承應元年に本山及び山號寺號共に今の如く定りしと云、客殿六間半に五間、本尊地蔵は長一尺五寸許の立像にして春日の作なりと云、土人是を鼻取地蔵と呼ぶ、姦馬を制するの誓ひありと云、妖妄の説信ずるに足らずと云へども、土人の説所に任せて記せり、昔此地の里長が家に悪馬あり、田植の時農具を負せて田に行しに馬そはへて進まず、時に此地蔵小僧に現じたすけて馬の口をとりてなだめしに、悪馬もまた甚穏なりしとぞ、其次の日住僧看経の時此像の足に泥のつきけるを見て、怪み人に語りけるに里長始て昨日の小僧のことを思ひあはせ、奇異の思ひをなしける、是より鼻取地蔵と名附けるとなり、今に至りて此あたりにてはさまで聞えずといへども、奥州南部のあたりにては此地蔵の霊験のあらたかなる事を信じて、遥拝するもの多しと土人いへり、いと怪きことなり。
寺寳
辟支佛身観音像一軀。立身にて銅像なり、長六寸許、此像はもと當國都筑郡茅崎村の冶工秋田某が家にて世々蔵せしが、子孫年々に衰へ行けるにより、此靈像を俗家へ安置してなれけかすにより、咎めあるならんとて當寺へ寄附せしと云。
大黒天像一軀。石にて作る、長四寸許作しれず。(新編武蔵風土記稿より)


延命寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿