上曽我千体堂。多数の如来形立像が奉安された堂宇
上曽我千体堂の概要
寺院の上曽我千体堂は、阿弥陀如来像を中心に多数の如来形立像が奉安された堂宇です。上曽我千体堂の創建年代等は不詳ながら、本尊の阿弥陀如来は江戸時代の造立で、千体仏(多数の如来形立像)は室町~江戸時代にかけての造立とされます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 小田原市上曽我415上曽我集会所 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
上曽我千体堂の縁起
上曽我千体堂の創建年代等は不詳ながら、本尊の阿弥陀如来は江戸時代の造立で、千体仏(多数の如来形立像)は室町~江戸時代にかけての造立とされます。
境内掲示による上曽我千体堂の縁起
千体仏と鬼鹿毛馬頭観音石碑
仏堂は中央に木彫阿弥陀如来坐像が祀られその横に多数の如来形立像がびっしりと並ぶ。中央阿弥陀如来は江戸時代の造立で、千体仏も室町から江戸時代へかけての製作と認められる。
堂前の鬼鹿毛馬頭観音の碑は静岡県小山町の円通寺の馬頭観音とのことである。この観音を「新柴のお観音さん」と呼び以前足柄平野の農家ではこの縁日に馬を曳いて足柄峠をこえ、人馬ともども参拝にいった。
碑の昭和一二年の年号はすでに参拝しなくなった時代に、遥拝(はるかにはなれたところから拝む)の対象として建てられたものかと思われる。鬼鹿毛馬頭観音の碑は久野諏訪の原にも一基がある。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による上曽我千体堂の縁起
(上曾我村)
阿彌陀堂二
一は竺土寺、一は瑞雲寺の持、(新編相模国風土記稿より)
上曽我千体堂の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」