眼蔵寺。石巻下野守康敬が父眼蔵寺殿石山徳雲居士のために創建
眼蔵寺の概要
曹洞宗寺院の眼蔵寺は、正法山と号します。眼蔵寺は、北條氏の家臣石巻下野守康敬が、父下野守康宗(眼蔵寺殿石山徳雲居士)の菩提を弔うために大永7年(1527)に創建、香集寺2世香山良聞(天文15年1546年卒)が開山したといいます。
山号 | 正法山 |
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院号 | - |
寺号 | 眼蔵寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 小田原市扇町1-20-7 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
眼蔵寺の縁起
眼蔵寺は、北條氏の家臣石巻下野守康敬が、父下野守康宗(眼蔵寺殿石山徳雲居士)の菩提を弔うために大永7年(1527)に創建、香集寺2世香山良聞(天文15年1546年卒)が開山したといいます。
新編相模国風土記稿による眼蔵寺の縁起
(池上村)
眼蔵寺
正法山と號す、曹洞宗、(足柄上郡川村向原香集寺末、)本尊釋迦、開山香山良聞、(本寺二世、天文十五年七月廿六日卒、)大永七年建、開基は北條氏の老臣石巻下野守康敬なり、(法名至徳院信與觀翁、慶長十八年十月朔日卒、)康敬の父下野守康宗の牌を置、(牌に眼蔵寺殿石山徳雲居士と載す、寺號に此法謚を撮たれば、康敬父の爲に建立せしならん、)境内に石巻權右衛門康元の墓あり、
(康元は康敬の孫、御書院番を勤め、駿府在番の時、彼地にて死す、依て當寺に葬る、法名平常院眞了源達、延寶二年七月六日死、)
又側に五輪の古碑三基並立り、蓋石巻氏祖先の墓なるべしと云、(按ずるに、開基康敬の墓は、鎌倉郡中田村中田寺にあり、同村に康敬の居跡も殘れり、故に石巻氏の事歴は、彼村に詳載す、併見るべし、)(新編相模国風土記稿より)
眼蔵寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿