盛泰寺。小田原市西大友にある曹洞宗寺院
盛泰寺の概要
曹洞宗寺院の盛泰寺は、宝珠山と号します。盛泰寺の創建年代等は不詳ながら、応永8年(1401)には天台宗寺院だった当寺を、天宥(天文19年1550年寂)が天文14年(1545)に曹洞宗寺院に改めて開山したといいます。伝承によると壬申の乱(672)に敗れた大友皇子が当地に潜居、大友皇子の逝去(慶雲2年705年)に際して当寺を建立、法名を宝珠院殿一品大友君公盛泰大居士と号したと伝えています。
山号 | 宝珠山 |
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院号 | - |
寺号 | 盛泰寺 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
住所 | 小田原市西大友485 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
盛泰寺の縁起
盛泰寺の創建年代等は不詳ながら、応永8年(1401)には天台宗寺院だった当寺を、天宥(天文19年1550年寂)が天文14年(1545)に曹洞宗寺院に改めて開山したといいます。伝承によると壬申の乱(672)に敗れた大友皇子が当地に潜居、大友皇子の逝去(慶雲2年705年)に際して当寺を建立、法名を宝珠院殿一品大友君公盛泰大居士と号したと伝えています。
新編相模国風土記稿による盛泰寺の縁起
(西大友村)
盛泰寺
寶珠山と號す、曹洞宗、(大住郡堀山村蔵林寺末、)開山天宥、(天文十九年四月十九日卒、)中興無外、(二世の僧なり、永禄三年三月十五日卒、)本尊釋迦、
△衆寮。觀音を本尊とす、
△白山社(新編相模国風土記稿より)
「川東仏教会寺院名鑑」による盛泰寺の縁起
応永8年(1401)より天台宗。それ以前の宗派は判明していない。天文14年(1545年)より曹洞宗となる。本寺は秦野市堀山下の蔵林寺。当山の末寺には大井町上大井の大通寺、小田原市山王の宗福寺の二山がある。盛泰寺の口碑によると開基は第三十八代天智天皇第一皇子大友皇子であるといわれている。大友皇子が壬申の乱(672)で天武天皇に敗れ東国にお逃がれになり、この大友の地にお潜みなされ、当寺を建立されたとしている。皇子の法名は「宝珠院殿一品大友君公盛泰大居士」歿年月日は慶雲2年(705)3月26日である。皇子塚がある。また、札幌、函館の開拓者で、二宮尊徳の弟子の大友亀太郎の墓もある。境内地の一部は文化財埋蔵区域に指定され、予備調査で古墳時代前期から奈良平安時代の住居址が確認されている。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
盛泰寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」