生駒熊野神社。江戸期に炭焼所村と呼ばれていた生駒の鎮守
生駒熊野神社の概要
生駒熊野神社は、南足柄市生駒にある神社です。生駒熊野神社の創建年代等は不詳ながら、「戦国時代の終わる頃、伊勢信仰の波に熊野信仰にかげりが出てきたために、各地域の鎮守の神として熊野神社が建立されました。わが熊野神社の建立も、それと時を同じくしたのではないか」のではないかと推測されています。江戸期には、炭焼所村(生駒)の鎮守として祀られていました。
社号 | 熊野神社 |
---|---|
祭神 | 素戔嗚命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 10月15日 |
住所 | 南足柄市生駒536 |
備考 | - |
生駒熊野神社の由緒
生駒熊野神社の創建年代等は不詳ながら、「戦国時代の終わる頃、伊勢信仰の波に熊野信仰にかげりが出てきたために、各地域の鎮守の神として熊野神社が建立されました。わが熊野神社の建立も、それと時を同じくしたのではないか」のではないかと推測されています。江戸期には、炭焼所村(生駒)の鎮守として祀られていました。
境内掲示による生駒熊野神社の由緒
生駒の熊野神社は、炭焼所(現生駒)の鎮守の神として、先祖代々氏子中の暑い信仰を得て今日まで守り継がれてきました。
御祭神は、日本武尊と言い伝えられてきましたが昭和二十七年宗教法人資格取得の登録申請時に、熊野神社の祭神は、素戔嗚尊一柱である旨明記され、素戔嗚尊が、公に生駒熊野神社の御祭神であると認定されていることが明かになりました。
建立については、定かではありませんが、平安時代「熊野詣」が全国的に広がりをみせ、地方の領主・武士・農民に至るまで熊野信仰が伝わりましたが、戦国時代の終わる頃、伊勢信仰の波に熊野信仰にかげりが出てきたために、各地域の鎮守の神として熊野神社が建立されました。わが熊野神社の建立も、それと時を同じくしたのではないかと推定されます。
日本武尊の御祭神との言い伝えについては、安永九(一七八〇)年足柄神社再建のおりに「東征に残された事跡とこの地に関係の深きをもって、神祇領の裁可を得て、足柄神社に合祀した。」とされています。つまりその事と時を同じくして、わが熊野神社も、日本武尊を祭神として、複合、重層するかたちでまつり以後深い信仰に支えられ、今日まで言い伝えられたとも考えられます。
ご祭神、素戔嗚尊は、古事記、日本書記によれば、出雲の国、簸の川で、八岐大蛇を退治され、天叢雲剣を天照大神に献上し、国土の経営に尽くされたとあります。また、植林を全国に奨められたほか、誓約の神、正邪を正す神として崇められたとあります。出世、繁栄の神、人々を悪疫から守り、秩序ある神として庶民の信仰を得て今日に至っています。
大正十二年の関東大震災には、神殿ことごとく倒壊、二年後に再建され現在に至りましたが、老朽化が進んだため、平成十年一月より改築資金の勘募活動を開始し、平成十一年二月、神戸建設工業の施工により完成しました。改築に必要な建設資金二千五百万円のうち千九百万円は、生駒居住者・関係企業・事業所からの浄財寄進、六百万円は、自治会による建設資金積立てにより新しい社殿が誕生しました。
平成十一年二月吉日
生駒熊野神社建設委員会(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による生駒熊野神社の由緒
(炭燒所村)
熊野社
村の鎮守、拝殿・幣殿あり、例祭九月九日、玉傳寺持(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による生駒熊野神社の由緒
由緒に関する記載なし(神奈川県神社誌より)
生駒熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌