福田寺。南足柄市和田河原にある曹洞宗寺院

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福田寺。七福寺お寺めぐりの寿老人

福田寺の概要

曹洞宗寺院の福田寺は、天照山と号します。福田寺は、当地名主仁右衛門の先祖荒井丹後守(心月東全、慶長7年1602卒)が開基となり、大松寺7世秀壡和尚が慶長元年(1596)に開山したといいます。七福寺お寺めぐりの寿老人となっています。

福田寺
福田寺の概要
山号 天照山
院号 -
寺号 福田寺
本尊 地蔵菩薩像
住所 南足柄市和田河原1195
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



福田寺の縁起

福田寺は、当地名主仁右衛門の先祖荒井丹後守(心月東全、慶長7年1602卒)が開基となり、大松寺7世秀壡和尚が慶長元年(1596)に開山したといいます。

「七福寺お寺めぐりin南足柄」掲示による福田寺の縁起

天照山福田寺は、慶長元(1596)年、荒井丹後守が開基となり、大松寺(竹松)七世秀𡓝宗松和尚を開山に請し、開創されました。爾来四百年、幾度かの戦争、堂宇の焼失、天災を乗り越え、現住三十四世に至っています。(「七福寺お寺めぐりin南足柄」掲示より)

「南足柄市史」による福田寺の縁起

和田河原村福田寺
同寺は大松寺の末寺で、本寺七世の秀壡和尚が開山したという。開基したのは和田河原村の名主仁右衛門の先祖「荒井丹後守」であった(『風土記稿』)。
明和七年(一七七〇)ごろ、塚原村天王院の住職良漂和尚が病身のため隠居することになった。福田寺の寛旭和尚が同院の後住に求められ、同和尚は師と檀那の了解を得て移ることになった。さらに福田寺の後住には塚原村長円寺の秀関和尚に頼みたいと、本寺大松寺にその嘆願書を提出している。これは、後住を末寺同志で内々に決め、その決定に本山の了承を得るという過程を示している。(「南足柄市史」より)

新編相模國風土記稿による福田寺の縁起

(和田河原村)
福田寺
和中山と號す、曹洞宗(竹松村大松寺末)、開山秀𡓝(本寺七世慶長八年四月十八日寂)、開基心月東全(荒井丹後守と稱す、里正仁左衛門の祖なり、慶長七年八月十九日死、客殿に夫婦の木像を置、)本尊地蔵、
△天神社
△稲荷社(新編相模國風土記稿より)


福田寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模國風土記稿
  • 「南足柄市史」