柏木神社|鎌倉時代末期創建、神谷村の総鎮守
柏木神社の概要
柏木神社は、北区神谷にある神社です。柏木神社は、元享年間(1321-1324)に神谷村の鎮守として創建したといいます。
社号 | 柏木神社 |
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祭神 | 伊邪奈美命 |
相殿 | 須佐之男命 |
境内社 | 稲荷社、八雲神社 |
住所 | 北区神谷3-55-5 |
備考 | 神谷村総鎮守 |
柏木神社の由緒
柏木神社は、元享年間(1321-1324)に神谷村の鎮守として創建したといいます。昭和18年当地に遷宮、須賀社(神谷町二丁目千二百七十番地)を合祀したといいます
新編武蔵風土記稿による柏木神社の由緒
(神谷村)柏木明神社
村の鎮守なり
末社天神、第六天(新編武蔵風土記稿より)
北区神社めぐりによる柏木神社の由緒
元享年間(1321-1324)の創立で神谷村の総鎮守神として祭られた崇敬の厚い神社である。
祭神は、伊邪奈美命、須佐之男命で縁結びの神として称え、安産の神と奉り子孫繁栄を祈る神として崇敬されている。(北区神社めぐりより)
「東京都神社名鑑」による柏木神社の由緒
当社は元亨年中(一三二一-四)の創立で、いわゆる熊野系の御祭神。神谷町の総鎮守神として崇敬の厚い社で、神谷町はその昔から今日に至るまで神庭または蟹わともいわれ、荒川に画した地に(神谷町二丁目九百六十八番地)鎮守神としてお祀りし、縁結びの神と称え、また安産の神と奉り、子孫の繁栄を祈る神として朝夕健康で家庭円満和楽であるように念じ崇敬されてきた。たまたま歳末降りしきる雪のため、一艘の船が社殿の森蔭に宿ったが、船頭の家計貧しく正月の餅を祝うことも難儀で、親子悲歎にくれて、せめて子供に一切れの餅をと、一夜を念じ過ごした。明くれは元旦鶏鳴とともに新玉の昇る朝日は光を柏木の社の森に映すころ、不思議や、その船へ餅をふり与えた。船頭親子の喜びはひとかたならず、広前に額ずき神徳のあらたかさを称え、由来村人柏木神社を餅投げの神と称え奉るに至った。かくて幾星霜昭和十八年十二月、現在の社地神谷町の中央に御遷宮するとともに、須賀社(神谷町二丁目千二百七十番地)御祭神須佐之男命を合祀し、尊崇いよいよ深く、ことに九月の例大祭には、参詣者遠方より詣ずるものが非常に多く、いん賑をきわめている。(「東京都神社名鑑」より)
北区教育委員会掲示による柏木神社の由緒
柏木神社は、元享年間(1321-1324)に神谷三丁目の荒川に面した地に、伊邪奈美命(女神)を御祭神とする神谷町の総鎮守神の社殿として建立された。
安産の神として崇めると共に、荒川を上り下りする舟の水路の安全を祈る「交通安全」の神様としても有名であった。
その昔は社域は広大で、神楽殿もあり、多くの樹木の聳える荘厳な森に囲まれていたが大東亜戦争が激化するに伴い、境内は軍需工場に接収され、昭和18年12月現在地に遷宮された。
昭和54年8月神谷町内外の氏子有志の奉賛により、現在の社殿が建立され、今日に至っている。(柏木神社境内掲示より)
柏木神社の周辺図