中里遺跡|北区上中里の名所旧跡

猫の足あとによる東京都寺社案内

中里遺跡|水産加工という組織的分業が確認された国指定史跡

中里遺跡の概要

中里遺跡は、北区上中里にある名所旧跡です。中里遺跡は、中里貝塚史跡広場と、中里貝塚史跡広場から東側100mほど離れた上中里二丁目広場(中里貝塚1)、道路を挟んだ地点(中里貝塚2)の3か所からなる国指定史跡です。国指定史跡の案内掲示板がある中里貝塚史跡広場が一番新しく平成11年に発掘調査された地点で、上中里二丁目広場は平成8年に発掘調査されています。発掘調査の結果、貝塚の範囲は長さ1km前後、幅70~100m、高さ2mにわたる細長いもので、縄文時代中期の中頃から終わりにかけての500年程の間に集中的に形成され、土杭や木道なども見つかっていることから、水産加工という組織的分業が進んでいたことが確認された重要な貝塚です。

中里遺跡
中里遺跡の概要
名称 中里遺跡
みどころ 国指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 北区上中里2-8中里貝塚史跡広場、2-4上中里二丁目広場、2-2
備考 -




中里遺跡

中里遺跡は、中里貝塚史跡広場と、中里貝塚史跡広場から東側100mほど離れた上中里二丁目広場(中里貝塚1)、道路を挟んだ地点(中里貝塚2)の3か所からなる国指定史跡です。国指定史跡の案内掲示板がある中里貝塚史跡広場が一番新しく平成11年に発掘調査された地点で、上中里二丁目広場は平成8年に発掘調査されています。発掘調査の結果、貝塚の範囲は長さ1km前後、幅70~100m、高さ2mにわたる細長いもので、縄文時代中期の中頃から終わりにかけての500年程の間に集中的に形成され、土杭や木道なども見つかっていることから、水産加工という組織的分業が進んでいたことが確認された重要な貝塚です。

掲示板による国指定史跡中里貝塚について

国指定史跡
中里貝塚は、ここから東側100mほど離れた現在の上中里二丁目広場で平成8(1996)年に発掘調査され、ハマグリやマガキの4mを超す貝層や国内初の貝処理施設などが出土し、縄文時代を見直す発見として一躍注目されました。
この中里貝塚史跡広場は、平成11(1999)年に発掘調査され、2m近い貝層が確認されました。100m以上も離れたこの場所にも厚く堆積する貝層が良好に残っていることが判明しました。また、貝層下から岩盤が波によって削られた並食台と呼ばれる地形を掘り込んだ土杭が発見され、地盤がぬかるむためか、土杭に通じる長さ6.5m以上の丸太(樹種コナラ亜属)を半割した木道も設置されていました。海岸で水を使った何らかの作業場であったと考えられます。
中里貝塚がこれまで知られていた他の貝塚と大きく異なるのは、規模の違いがあげられます。周辺での発掘調査、貝殻の散布状況、江戸・明治期の記録などを詳細に分析した結果、貝塚の範囲は長さ1km前後、幅70~100mにわたると推定されます。この面積は、他の大型貝塚と比較しても桁違いに大きいことがわかります。しかも中里貝塚の貝層は、縄文時代中期の中頃から終わりにかけての500年程の間に集中的に形成されている点からも得意な貝塚といえます。
この東西2ヶ所の広場は平成12年9月6日、縄文時代の生産、社会的分業、社会の仕組みを考える上で重要な貝塚であることから国史跡に指定されました。(東京都北区教育委員会掲示より)

境内掲示による中里貝塚1について

中里貝塚は、明治19(1886)年に学界で報告されて注目された貝塚です。110年の時を経て、平成8(1996)年度に本格的な発掘調査がおこなわれました。
これまで貝塚は台地上の村につくられる生活ゴミの捨て場とみられていました。しかし、中里貝塚は低地に位置し、調査によって、国内最大厚4.5mを誇る巨大な貝層が発見されたのです。貝層からは土器のかけらや、魚や獣の骨などは見つからず、形のそろったハマグリとカキだけが捨てられていた、生活のにおいのしない貝塚なのです。
この貝塚は縄文時代中期中葉から後期初頭(約4500~4000年前)に海岸につくられた貝塚です海で採取してきた貝を浜辺で処理して身だけを取り出し、貝殻を海に向かって捨てていたのです。浜辺で貝を処理した施設は道路をはさんだうしろの広場で発見され、巨大な貝塚は目の前に広がっていました。このように、大量に2種類の貝を取り続けていたということは、ここに集まる縄文時代の人々は、貝を選定し、枯渇しないように浜を管理していたとみられ、自家消費するだけでなく、干し貝に加工して、石器の原料である石材と交換していたようです。
中里貝塚は、海岸につくられた「水産加工の場だったのです。(東京都北区教育委員会掲示より)

境内掲示による中里貝塚2について

巨大な貝塚(右手の道路をはさんだ広場)に隣接して、こちらでは、砂浜の中に木枠のついた1.6m~1.3mの楕円形の形の施設が出土しました。、砂浜の窪みにたまった粘土を利用したもので、中からは焼石やカキ殻などが発見されました。このしせつは、貝を加工処理して身を取り出すためのものとみられ、使用方法は右図のように2通り考えられます。
水揚げされた貝を浜辺で処理して身を取り出し、貝殻を前方に広がる海に向かって投棄し続け、貝殻をうず高く積もったのです。中里貝塚は、「水産加工の場」を示す一連の作業工程がそろって残っていたのでした。
この巨大な貝塚を作り上げた作業が小人数で行なわれたとは考え難く、組織的に共同作業が営まれていたことがうかがえます。(東京都北区教育委員会掲示より)


中里遺跡の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿