寿徳山萬栄寺|昭和6年萬栄教会として設立
萬栄寺の概要
真宗大谷派寺院の萬栄寺は、寿徳山と号します。萬栄寺は、新潟県西蒲原郡中之口村の円明寺とその周辺四か寺の檀家から東京へ上京した人達を対象に田中氏が説教所を豊島区西巣鴨2丁目に昭和6年設立、真宗大谷派萬栄教会と称したといいます。太平洋戦争により説教所が焼失、一旦円明寺へ戻ったものの、昭和23年再度上京し、中里三丁目で萬栄寺と公称、昭和62年当地へ移転しています。
山号 | 寿徳山 |
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院号 | - |
寺号 | 萬栄寺 |
住所 | 北区田端5-7-7 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | 墓苑募集中 |
備考 | - |
萬栄寺の縁起
萬栄寺は、新潟県西蒲原郡中之口村の円明寺とその周辺四か寺の檀家から東京へ上京した人達を対象に田中氏が説教所を豊島区西巣鴨2丁目に昭和6年設立、真宗大谷派萬栄教会と称したといいます。太平洋戦争により説教所が焼失、一旦円明寺へ戻ったものの、昭和23年再度上京し、中里三丁目で萬栄寺と公称、昭和62年当地へ移転しています。
「北区史民俗編」による萬栄寺の縁起
萬栄寺
真宗大谷派で寿徳山と号している。開創は昭和六年である。
この年、新潟県西蒲原郡中之口村六分の同派円明寺とその周辺四か寺の檀家から東京に出た人たちを対象として、設立した寺である。まず豊島区西巣鴨二丁目(現在の東池袋二丁目)荒川線向原停留所近くに説教所を作り、萬栄教会と称した。そしてこの教会を足場にして、円明寺他四か寺の檀徒の二、三男で東京に居を構えた人たちを訪ね歩いて信徒を加えていった。教会は最初普通の住宅を借りてその一部を改造したものであったが、その後池袋寄りの豊島消防署の近く(西巣鴨二丁目) にあった二階建の家に移り二階を本堂にして布教を行った。
太平洋戦争でこの説教所は焼失したので田中氏は一旦故郷の師匠寺円明寺に戻った。たまたま同寺の住職が戦犯ということで抑留されてしまったので住職の代理を務めることになった。
昭和二十三年再度上京し、西巣鴨時代の世話人の斡旋で北区中里三丁目に家を求め、改装して堂宇とし、この時、萬栄寺を公称した。
昭和五十九年田端五丁目に二〇〇坪の土地を取得して、本格的な堂宇を建築することになった。二月の総代会での決議のあと土地入手の手配をし、本堂完成まで三年を費した。昭和六十二年十一月新本堂が完成し移転した。(「北区史民俗編」より)
萬栄寺の周辺図