無量寿山善光寺|昭和3年に創建
善光寺の概要
浄土宗寺院の善光寺は、無量寿山豊島院と号します。善光寺は、信州出身の倉島大音氏が、法政大学在学中に疾病、病気平癒を願って長野善光寺に願掛けしたところ、快復できたことから、出家し布教活動を開始、昭和3年に創建したといいます。長野善光寺の全国善光寺会会員寺です。
山号 | 無量寿山 |
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院号 | 豊島院 |
寺号 | 善光寺 |
住所 | 北区豊島3-4-9 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善光寺の縁起
善光寺は、信州出身の倉島大音氏が、法政大学在学中に疾病、病気平癒を願って長野善光寺に願掛けしたところ、快復できたことから、出家し布教活動を開始、昭和3年に創建したといいます。
「北区史民俗編」による善光寺の縁起
昭和三年(一九二八)四月の開創である。開山の倉島大音氏は信州(長野県)の出身で、法政大学の法科に入り、弁護士を志していたが、胸を病んで故郷の病院に入院した。重症であったので、この病いが治癒したら出家するので治してほしいと、長野善光寺へ願を掛けた。願が叶って奇跡的に快復した倉島氏は、善光寺への約を果たすため、出家して寺院に入り、修行の後に大正大学に入学し、寮長をしながら布教活動を開始した。
その布教地の一つの豊島地区に一寺を開創しようとしたところ、浄土宗の名僧も後援してくれることとなったが、資金がないので、自ら四季の絵を描き、友人に俳句を添えてもらった画軸を四幅一揃えで売り、資金を作ったという。この絵に大音氏は、「晃映」という雅号を記している。
こうして昭和三年四月、念願の開創を果たした後、大昔氏は、同十一年に没した。
その後、現住職の父親の小野台静氏が住職として入山し、戦災を経て、昭和四十六年現在の形に復興した。(「北区史民俗編」より)
善光寺の周辺図