碑文谷八幡宮|畠山重忠の守本尊を当地に勧請、旧碑文谷村鎮守
碑文谷八幡宮の概要
碑文谷八幡宮は、目黒区碑文谷にある神社です。碑文谷八幡宮は、畠山重忠の家臣宮野左近が、畠山重忠の守本尊を当地に勧請して創建したといいます。江戸時代には碑文谷村の鎮守となっていた他、太平洋戦争終戦まで村社に列格していました。
社号 | 碑文谷八幡宮 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
祭日 | 例祭日9月敬老の日 |
住所 | 目黒区碑文谷3-7-3 |
備考 | 旧碑文谷村鎮守、旧村社 |
碑文谷八幡宮の由緒
碑文谷八幡宮は、畠山重忠の家臣宮野左近が、畠山重忠の守本尊を当地に勧請して創建したといいます。江戸時代には碑文谷村の鎮守となっていた他、太平洋戦争終戦まで村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による碑文谷八幡宮の由緒
(碑文谷村)八幡社
除地1595坪、西北の方にあり。銅像のよし云傳ふれど、秘してたやすく扉を開くことを許さず。相傳ふ畠山重忠の守本尊にして軍陣に臨むときは冑の立物に付し像なりと。後に其家人宮野友右衛門と云ものに預け置しを重忠討死の後此地に勧請して八幡に祀りしとぞ。其年代は詳ならず。本社2間四方、拝殿も同じ大さなり。社前2町半許を隔て石階9級あり。此間に鳥居2基をたつ。両柱の間ともに2間。
末社。
稲荷疱瘡神弁天合社。本社に向て右にあり。小祠なり。
第六天社二。一は本社の前にあり。一は本社の側にあり。ともに小祠。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による碑文谷八幡宮の由緒
その昔、旧碑文谷村の鎮守として崇敬せられた。創建年月不詳であるが、源頼朝の臣畠山重患の守護神を家臣榛沢六郎が宮野左近をして祀ったといわれている。また永正八年(一五一一)、寛永八年(一六三一)、宝永元年(一七〇四)、明治五年と社殿の再造営がなされたことが棟札によって知られる。(東京都神社名鑑より)
碑文谷八幡宮の周辺図