高木神社|旧碑文谷村子之神集落鎮守
高木神社の概要
高木神社は、目黒区南にある神社です。高木神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には碑文谷村子之神集落の守護神として「第六天社」と称していました。明治時代に高木神社と改称、境内には環七道路建設により移設された天明8年刻名の角柱文字塔型道標が保存されています。
社号 | 高木神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
合祀 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 目黒区南2-1-40 |
備考 | 旧碑文谷村子之神集落鎮守 |
高木神社の由緒
高木神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には碑文谷村子之神集落の守護神として「第六天社」と称していました。明治時代に高木神社と改称しています。
新編武蔵風土記稿による高木神社の由緒
第六天社
除地村の南の方にあり。是も同寺(円融寺の塔頭神宮寺)の持なり。(新編武蔵風土記稿、荏原郡馬込領碑文谷村項より)
目黒区教育委員会掲示による高木神社の由緒
高木神社
この神社の創建年代は不明ですが、かなり古くからあり、碑文谷村時代には、子之神集落の守護神として「第六天」と呼ばれていました。
江戸時代から第六天と子の神(子の方角の神で、大黒天・大国主命)及び高皇産霊神を祀り農村の水神として、また霊験あらたかな神様として敬仰されていました。
明治になって高木神社と名づけられ、祭神は大己貴命となっています。境内に天明8年刻名の角柱文字塔型道標があります。この道標は今の環7道路の位置から移されたものです。(目黒区教育委員会掲示より)
高木神社所蔵の文化財
- 天明8年刻名の角柱文字塔型道標
高木神社の周辺図