実相寺|目黒区中目黒にある天台宗寺院

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鶏定山実相寺|目黒区中目黒にある天台宗寺院

実相寺の概要

天台宗寺院の実相寺は、鶏定山と号します。実相寺は、寛永6年(1629)に日蓮宗日是が開山となり、鷲峯山中道寺と号して魚籃坂下に創建、元禄11年(1698)日蓮宗不受不施派への禁制により住職は三宅島へ島流しとなり、元禄13年普穹が天台宗に改めて開基、実相寺と寺号を改め、士族を中心に信仰を集めていたといいます。明治維新後、士族の零落など寺門維持が難しい中、区画整理により明治44年当地へ移転したといいます。

実相寺
実相寺の概要
山号 鶏定山
院号 -
寺号 実相寺
住所 目黒区中目黒5-7-13
本尊 地蔵菩薩像
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



実相寺の縁起

実相寺は、寛永6年(1629)に日蓮宗日是が開山となり、鷲峯山中道寺と号して魚籃坂下に創建、元禄11年(1698)日蓮宗不受不施派への禁制により住職は三宅島へ島流しとなり、元禄13年普穹が天台宗に改めて開基、実相寺と寺号を改め、士族を中心に信仰を集めていたといいます。明治維新後、士族の零落など寺門維持が難しい中、区画整理により明治44年当地へ移転したといいます。

「目黒區大觀」による実相寺の縁起

實相寺
當寺は中目黒九七〇番地に在る天台宗の寺院で、明治四十四年に芝區魚籃坂下より移轉したものである。その開創は古く寛永六年(三〇六年前)にて、當時日蓮宗徒日是が開山となり、鷲峯山中道寺と稱へて居た。降つて約七十年の後、元禄十一年五代日善の時、當時禁制の不受不施派再興に加擔し、三宅島遠島の處分を受けたのえ、元禄十三年に至つて天台宗に改め、寺號も實相寺と改めて普穹が初代の住職となつた。一檀家を首めとして多く士族の歸依するもの多く、嫡々相承し来つたが、明治維新以来寺運振はず、遂に現地に移り来つた。
寺内に座像五尺餘の閻魔尊が安置されて居る。傳へ言ふところに依れば、往時魚籃下(白金志田町)に在りし頃高輪の大火に遭つて類焼したが、軌蹟的にも頭面部のみが焼失を免がれた。爾来頸以上の病苦救済に靈能があると云ふので、信仰する人が多かつたと。
(「目黒區大觀」より)

「御府内寺社備考」による実相寺の縁起

東叡山末 三田寺町
鷲峯山法林院中道寺、境内千八坪内九百二十八坪拝領地八十坪持添年貢地二百五十五坪門前町屋
起立之儀者寛永六巳年ニ御座候其〇日蓮宗ニ御座候処五代目不受不施再興之僧一味ニ付咎より
元禄十一亥年〇ニ被仰付ニ池上〇下同十三辰年天台宗改宗仕候。
開基日是寛永十四丑年正月七日卒。
改宗開基善穹享保五子年八月五日卒。
中興周純文化六年正月廿八日卒。
本堂七間ニ四間、内陣四間ニ三間。
本尊地蔵菩薩、木立像丈五尺三寸。腹篭地蔵菩薩、木立像武三寸。二共慈覚大師作ト云。
鐘楼。九尺四方。(銘文省略)
稲荷社。六尺四方、身躰幣。
太子堂。九尺四方、太子木立像丈二尺二寸。道了権現木立像丈一尺。弁財天木坐像丈六寸。大黒天丈二寸余。毘沙門天竹五寸余。十五童子丈一寸余。合殿。
閻魔堂、二間四方。閻魔王木坐像丈六尺二寸。千手観音木坐像丈二尺。阿弥陀如来銅坐像丈二尺。
地蔵堂、九尺四方。地蔵尊木立像丈一尺一寸余。慈覚大師木坐像丈一尺一寸余。二童子木立像丈一尺四寸恵心僧都作ト云。毘沙門天木立像丈三尺。不動尊同。二童子木立像丈一尺四寸。
石宝篋印塔。
以上戌子書上(「御府内寺社備考」より)


実相寺の周辺図