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正覚寺|目黒区中目黒にある日蓮宗寺院

正覚寺の概要

日蓮宗寺院の正覚寺は、実相山と号します。法泉院日栄(寛永11年1634年寂)が開山、4代藩主綱村の生母である三沢初子が開基となり、元和5年(1619)に創建しました。日蓮宗不受不施派弾圧の影響を受けて、本寺であった碑文谷法華寺(現円融寺)元禄11年(1698)天台宗に改宗したことから、身延山久遠寺末へ本寺を改めています。また仙台伊達家との所縁が深く、三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依、諸堂の寄進を受けた他、三沢初子の墓も当寺にあります。

正覚寺
正覚寺の概要
山号 実相山
院号 -
寺号 正覚寺
住所 目黒区中目黒3-1-6
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 実相会館、実相会館たちばな
備考 -


※御朱印画像はいけみずさんよりの寄贈


正覚寺の縁起

正覚寺は、法泉院日栄(寛永11年1634年寂)が開山、4代藩主綱村の生母である三沢初子が開基となり、元和5年(1619)に創建しました。日蓮宗不受不施派弾圧の影響を受けて、本寺であった碑文谷法華寺(現円融寺)元禄11年(1698)天台宗に改宗したことから、身延山久遠寺末へ本寺を改めています。また仙台伊達家との所縁が深く、三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依、諸堂の寄進を受けた他、三沢初子の墓も当寺にあります。

新編武蔵風土記稿による正覚寺の縁起

正覚寺
除地704坪、年貢地2987坪村の東北の隅上目黒村の堺にあり。法華宗、身延久遠寺末、実相山と号す。開山法泉院日栄、寛永11年3月28日入寂。客殿8間四方。本尊三宝を安ず。客殿と門と間に石塔在。
三十番神堂。客殿の右石階の上にあり、3間四方。番神堂の三字を扁す。
鬼子母神堂。3間に2間。拝殿2間四方。堂の内に鬼子母神の四字を掲ぐ。本尊は伝教大師作にして霊験あらたなり。仙台伊達家より帰依により、今に至るまで仙台より堂宇を修理ありと云。
古碑一基。境内にあり、弘安3年10月と彫る。(新編武蔵風土記稿より)

目黒区教育委員会掲示による正覚寺の縁起

正覚寺
実相山正覚寺は、元和5年(1619)に日栄上人によって開かれた日蓮宗の寺です。初めは碑文谷法華寺(現、円融寺)の末寺でしたが、元禄の頃、不受不施問題の影響を受けて身延山久遠寺末になりました。
仙台の伊達家との関係が深く、4代藩主綱村の生母である三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依し、客堂や庫裡等は初子の邸宅が寄進されて建てられたといわれています。初子は浄瑠璃や歌舞伎で有名な「伊達騒動」の登場人物「千代萩の政岡」のモデルともいわれる人物です。また、綱村も生母初子の菩提を弔うため当寺へ特別の保護をしたといい、現在も伊達家の紋の入った建具などが残されています。
なお、鬼子母神堂には伝教大師作と伝えられている鬼子母神像が、祖師堂には11代将軍徳川家斉が江戸城中で深く帰依していたという日蓮聖人木像が安置されています。
墓地には三沢初子の墓(都指定文化財)があり、境内には6代目尾上梅幸の弟子尾上梅朝が演じた先代萩の政岡を元に、昭和9年(1934)に建てられた初子の銅像があります。(目黒区教育委員会掲示より)


正覚寺所蔵の文化財

  • 三沢初子の墓(東京都指定文化財)
  • 橋本牧場畜牛供養塔(目黒区指定文化財)

橋本牧場畜牛供養塔

目黒には明治中頃から昭和初期にかけて数多くの牧場があり、地域の人々に新鮮な牛乳を供給していました。しかしそれらも目黒の都市化とともに姿を消し、今日では全くその姿をとどめていません。
橋本牧場は明治20年(1887)頃から大正12年(1923)まで上目黒4丁目あたりに3千坪(約1万平方メートル)ほどの敷地で存在した牧場で、畜牛供養塔は経営者の橋本寿吉氏により牧場廃業時に敷地の片隅に立てられたものです。
その後、開発等により慰霊碑は移転を繰り返しましたが、平成19年に現在の場所に安置されました。区内に牧場があったことを物語る数少ない貴重な資料です。(目黒区教育委員会掲示より)


正覚寺の周辺図


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