馬込浅間神社|宝永の富士山大噴火後に勧請
馬込浅間神社の概要
馬込浅間神社は、大田区中馬込にある浅間神社です。馬込浅間神社は、富士山が噴火した宝永大噴火(1680-1709)後に冨士信仰が流行、享保17年(1732)富士山本宮浅間神社を勧請して創建したといいます。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | 木花咲耶姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
祭日 | 6月8日 |
住所 | 大田区中馬込2-1-21 |
備考 | - |
馬込浅間神社の由緒
馬込浅間神社は、富士山が噴火した宝永大噴火(1680-1709)後に冨士信仰が流行、享保17年(1732)富士山本宮浅間神社を勧請して創建したといいます。
「大田区の神社」による馬込浅間神社の由緒
享保十七年(一七三二)に当時盛行した冨士信仰に基づき冨士山本宮浅間神社を勧請したものと伝えられている。(「大田区の神社」より)
新編武蔵風土記稿による馬込浅間神社の由緒
(馬込村)浅間社
除地八畝十八歩、村の西方坡植えにあり社は一間四尺に二間二尺、社前は、切岸はげしくして壁の如くそばだち、古木森々として社頭を擁す坂の下に老杉二株並び立り、それより数歩を隔て鳥居を建、勧請の年歴詳ならず、祭禮は年々九月二十七日、神前にて神楽を奏す、宗福寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
馬込浅間神社の周辺図