穴守稲荷神社|鈴木新田開発の際の堤防に生じた穴を守るために勧請、羽田七福いなりめぐり
穴守稲荷神社の概要
穴守稲荷神社は、大田区羽田にある稲荷神社です。穴守稲荷神社は、鈴木新田開発の際の堤防に穴が生じて開発の障害となったため、穴を守るために稲荷神を祀ったことに由来するといいます。穴守稲荷神社は、文化文政期(1818)鈴木新田(現在の空港内)を開墾する際、鈴木新田の地に祀ったといい、明治時代には村社に列格していました。昭和20年羽田空港拡張のため、当地へ遷座しました。羽田七福いなりめぐりの一社です。
社号 | 穴守稲荷神社 |
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祭神 | 豊受姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日11月3日 |
住所 | 大田区羽田5-2-7 |
備考 | 羽田七福いなりめぐりの一社 |
穴守稲荷神社の由緒
穴守稲荷神社は、文化文政の頃(1818)鈴木新田(現在の空港内)を開墾する際、鈴木新田の地に祀ったといいます。昭和20年羽田空港拡張のため、当地へ遷座しました。
境内掲示による穴守稲荷神社の由緒
文化文政の頃(1818)鈴木新田(現在の空港内)開墾の際沿岸の堤防しばしば激浪の為に腹部に大穴を生じ、これより海水侵入す。ここに於て村民相計り堤上に稲荷大神を祭った処神霊のご加護により風浪の害なく護国豊穣したと云う。
「浪風が作った穴の害より田畑を守り給うた稲荷大神」として穴守稲荷大神と尊称する。
稲荷大神は衣食住の根元を司どり一日たりともこの恩顧を蒙らぬ日はなく実に神徳広大である。
諸願の霊験もあらたかなるを以て全国崇敬者の信仰篤く明治、大正、昭和にわたりて最も隆昌を極める。
昭和20年終戦にのぞみ羽田空港拡張のため(従来の鎮座地)現空港内より現在の地に遷座する。(穴守稲荷神社境内掲示より)
「大田区の神社」による穴守稲荷神社の由緒
文化年間元羽田村名主鈴木弥五衛門が要島の堤防に新田開発の守護神として祀りたるに始まる。明治十八年公衆参拝の許可を得て京浜間の流行祠となる。昭和二十年九月飛行場拡張のため羽田神社に仮遷宮。昭和二十三年二月現在の地に遷宮。(「大田区の神社」より)
穴守稲荷神社の周辺図