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梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)|大田区蒲田の名所旧跡

梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)の概要

聖蹟蒲田梅屋敷公園は、梅屋敷と称されて著名だった当地に、大田区が整備した公園です。大森から蒲田にかけて、江戸時代には梅の栽培が盛んとなり、梅の開花時期になると、江戸市中からの見物者が絶えなかったといいます。また大森で和中散という道中常備薬の販売店の一つが当地に移転、梅の名木を集めて庭園とし、休み茶屋を文政年間(1818-1830)に開業、「梅屋敷」として評判となり、歌川広重の浮世絵にも描かれたといいます。また、公園内には、梅屋敷山本家の門の横にあったという里程標(日本橋からの距離を示す石碑)が復元されています。

梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)
梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)の概要
名称 聖蹟蒲田梅屋敷公園
みどころ 名所
分類 公園
住所 大田区蒲田3-25
備考 -



梅屋敷について

大森から蒲田にかけて、江戸時代には梅の栽培が盛んとなり、梅の開花時期になると、江戸市中からの見物者が絶えなかったといいます。また大森で和中散という道中常備薬の販売店の一つが当地に移転、梅の名木を集めて庭園とし、休み茶屋を文政年間(1818-1830)に開業、「梅屋敷」として評判となり、歌川広重の浮世絵にも描かれたといいます。

新編武蔵風土記稿による梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)について

(北蒲田村)
土産梅實
當所の土性わきて梅樹によろしきを以て、陸田の間或は民家のかまへのまわりなどに、數百本をうへ置て産業の助とす、其實肉厚く核小にして他の産する所と味大に殊なり、花もすぐれて清白の一種なり、もとこれ梅實のために植し野梅なれど、花の盛なる頃はさながら雪などの木にふりかゝりたるごとくにして、目を悦ばしむるにたれば、いつとなく其聞ありて、安永天明の頃よりは江戸より来り見るもの多し、(新編武蔵風土記稿より)

大田区掲示による梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)について

梅屋敷と和中散売薬所跡
「和中散」は、食あたり、暑気あたり等に効く、道中常備薬としてつくられ、旅人に珍重された。元禄から正徳にかけて(一六八八~一七一六)大森村中原、谷戸、南原に三店が開業した。
このうち南原にあった店が、のちに北蒲田村の忠左衛門に譲られ、この地に移転したという。
文政年間(一八一八~一八三〇)の初め、忠左衛門の子の久三郎の代に、庭園に梅の名木を集めて、休み茶屋を開いた。
亀戸の梅林とともに梅の名所「梅屋敷」として有名になり、広重の浮世絵にも描かれた。(大田区教育委員会掲示より)


梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)の文化財

  • 里程標(復元)

里程標(復元)

里程標(復元)
昔、梅屋敷山本家の門の横に自然石の里程標の石碑がありました。その高さは一メートルほどでその表面には、
距日本橋三里十八丁
蒲田村山本屋
と刻されていたと伝えられています。
木戸孝允、伊藤博文らが梅屋敷で新年宴会を開いた際、二人が合作した一幅中の木戸孝允の絵にも描かれていました。
戦後里程標は姿を消しましたが資料をもとに復元しました。(大田区掲示より)

梅屋敷(聖蹟蒲田梅屋敷公園)の周辺図


関連資料
  • 新編武蔵風土記稿