浄興寺|大田区東矢口にある浄土真宗本願寺派寺院
浄興寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の浄興寺は、昭和2年(1927)当地に道場を開設、昭和26年(1951)4月に寺号公称の認可を受けたといいます。
山号 | - |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 浄興寺 |
住所 | 大田区東矢口2-10-9 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄興寺の縁起
浄興寺は、昭和2年(1927)当地に道場を開設、昭和26年(1951)4月に寺号公称の認可を受けたといいます。
「大田区の寺院」による浄興寺の縁起
現住が、昭和2年(1927)本山より都市開教の命を帯びて、此地に聞法の道場を仮設したのが開創で、戦後の新寺建立規定により、昭和26年(1951)4月に寺号公称の認可を受けたものである。宗祖親鸞は、越後流罪を勅免された後、関東に向い、常陸稲田郷(茨城県笠間)に草庵を結び「教行信託」を著わして、宿願満足の表意に、草庵を「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」と称し、略して浄興寺と名付け、貞永元年(1234)頃、京都へ帰るに際し、門弟善性房に譲った。
その後弘長3年(1261)戦火により寺は焼失し、文永4年(1267)信濃水内長沼(長野市)に移転したが、川中島合戦(1561)の兵火に焼かれ、時の住職周円房西賢は、開東以来の本尊を奉じて現在の山梨県田野倉の地に浄興寺を移した。さらにこの浄興寺を、前述の理由により当地に再興したのである。本尊は親鸞関東開教以来のものと伝えられる。(「大田区の寺院」より)
浄興寺の周辺図