亀松山久宝寺|大田区本羽田にある浄土真宗本願寺派寺院
久宝寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の久宝寺は、亀松山と号します。久宝寺の創建年代は不詳ですが、もと豊臣家家臣だった定意が、仇討ちを狙って江戸に入府したものの、逆に徳川方に狙われたことから浜町御坊(築地本願寺の前身)に逃げ込み、僧侶となり、久宝寺を創建したと伝えられます。関東大震災に被災、昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転しました。
山号 | 亀松山 |
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院号 | - |
寺号 | 久宝寺 |
住所 | 大田区本羽田3-17-1 |
本尊 | 木造阿弥陀如来立像 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
久宝寺の縁起
久宝寺の創建年代は不詳ですが、もと豊臣家家臣だった定意が、仇討ちを狙って江戸に入府したものの、逆に徳川方に狙われたことから浜町御坊(築地本願寺の前身)に逃げ込み、僧侶となり、久宝寺を創建したと伝えられます。関東大震災に被災、昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転しました。
「大田区の寺院」による久宝寺の縁起
寺伝によれば、開基定意は、もと豊臣家の家臣であり、主家滅亡により、徳川家康に一矢を報いるため、ひそかに江戸に出てすきをねらったが、逆に徳川万に察知され、浜町御坊にかけ込み、僧籍に入り、久宝寺を興したと伝えられる。大正12年(1923)関東大震災により、昭和3年(1928)現在地に移転した。(「大田区の寺院」より)
久宝寺の周辺図