喜修山正蔵院|東海三十三観音霊場
正蔵院の概要
真言宗智山派寺院の正蔵院は、喜修山了仲寺と号します。正蔵院の創建年代は不詳ですが、正蔵院住職重仙が宝徳2年(1449)に、正蔵院住職乗信が文禄4年(1595)に当寺の本尊不動明王像を修復したといい、室町時代以前の創建と推定されます。玉川八十八ヶ所霊場79番、東海三十三観音霊場26番、武相不動尊霊場25番です。
山号 | 喜修山 |
---|---|
院号 | 正蔵院 |
寺号 | 了仲寺 |
本尊 | 木造不動明王立像 |
住所 | 大田区本羽田3-10-8 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場79番、東海三十三観音霊場26番、武相不動尊霊場25番 |
正蔵院の縁起
正蔵院の創建年代は不詳ですが、正蔵院住職重仙が宝徳2年(1449)に、正蔵院住職乗信が文禄4年(1595)に当寺の本尊不動明王像を修復したといい、室町時代以前の創建と推定されます。
「大田区の寺院」による正蔵院の縁起
当寺の創建は詳かでないが,本尊の不動明王は伝教の作と伝えられ,宝徳2年(1449)時の住職重仙により,さらに文禄4年(1595)に乗信により修復されたと「新編武蔵風土記稿」に記されている。かっては本尊不動明王にかえて大日如来を本尊としたこともあった。
慶安3年(1650)境内は多摩川の洪水により川の中に入ったため,元禄8年(1695)に織田越前守の検地により2段1畝8歩を境内地として与えられたという。大正11年(1922)5月20日羽田仲塗師観蔵院を合併した。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による正蔵院の縁起
正蔵院
境内免除地2段1畝8歩。字西町と云所にあり。喜修山了仲寺と云。新義真言宗にて高畑村宝幢院の末なり。古き寺なりといへど開山を詳にせず。昔の本尊不動明王は伝教大師の作なり。宝徳2年僧都重仙が住職せし時修補を加ふ。其後文禄4年中興法印乗信と云し人修復せしなり。此本尊今は別に堂中に安置して、大日如来を是にかへて本尊とせり。木の座像にて1尺余なり。客殿は9間に7間半。庫裡、客殿の左にあり、8間に5間。当寺の境内は慶安3年洪水の患ありて、其頃多摩川にかけ入しかば、其堺もさだかならず。されどもとより除地なりしにより、元禄8年の秋に至り請奉りて、織田越前守が検地を受ていよいよ除地となれり。
淡島明神八幡春日合社。本堂の右にあり。社は2間に2間半なり。此淡島の像弘法大師の作と云。文禄年中よりここにたてりと縁起あれど、信用すべきことなければ略せり。(新編武蔵風土記稿より)
正蔵院所蔵の文化財
- 不動明王立像(大田区指定有形文化財)
正蔵院の周辺図