慈雲山東陽院|玉川八十八ヶ所霊場、東海三十三観音霊場
東陽院の概要
真言宗智山派寺院の東陽院は、慈雲山安楽寺と号します。栄尊法印(寛永21年1644年寂)が開基となり創建しました。当寺の釈迦如来立像・弘法大師坐像が寛永12年(1635)に造立にされていることから、1630年~1640年前後の創建と考えられます。玉川八十八ヶ所霊場86番、東海三十三観音霊場18番です。
山号 | 慈雲山 |
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院号 | 東陽院 |
寺号 | 安楽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
住所 | 大田区仲六郷4-6-2 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場86番、東海三十三観音霊場18番 |
東陽院の縁起
東陽院は、栄尊法印(寛永21年1644年寂)が開基となり創建しました。当寺の釈迦如来立像・弘法大師坐像が寛永12年(1635)に造立にされていることから、1630年~1640年前後の創建と考えられます。
「大田区の寺院」による東陽院の縁起
当時の開基は榮尊(寛永21年2月27日寂)、以前の本堂は江戸時代後期に火災にあい、文化年間(1804-16)には未だ再建されず。その跡に暫く宝篋印塔が建てられていた。現在の本堂は江戸末期のものであり、もと瓦葺であったが、大正12年(1923)の震災により銅板に葺き替えた。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による東陽院の縁起
東陽院
境内除地1段3畝28歩。街道より西の方にあり。新義真言宗、同郡高畑村宝憧院末。慈雲山安楽寺と号す。開基は榮尊法印、寛永21年2月27日寂す。本堂は近き頃回祿にかかり、未再造に及ばずして其跡に宝篋塔をたてたり。本尊大日如来は今庫裡に安ず。
観音堂。境内にあり、三間半四方。
稲荷祠。小祠なり。(新編武蔵風土記稿より)
東陽院所蔵の文化財
- 釈迦如来立像(大田区指定有形文化財)
- 観世音菩薩立像(大田区指定有形文化財)
- 弘法大師坐像及び厨子(大田区指定有形文化財)
釈迦如来立像
木像寄木造り、金箔、玉眼、像高43cm。
台座裏の銘文に「武蔵荏原郡六郷八幡塚東養院、釈迦善逝、施主妙蓮禅定尼」と墨書されており、寛永12年(1635)造立されたことがわかる。
施主妙蓮については、つまびらかでないが、当院の弘法大師像の銘文にも施主としてその名が見え、開創当時の有力な檀越であったと推定される。
像は小型ながら技法もすぐれ、補修もなく、よく原型を保っている。両手先が欠損しているのが惜しい。(大田区教育委員会掲示より)
観世音菩薩立像
木造寄木造り、金箔、彫眼、像高36.5cm。
本像は、竹之内長右衛門とその妻が願主となり、正保3年(1646)に新しく造立されたことが、台座裏の銘文によってわかる。
像は、後補も加えられておらず、よく原型を存し、江戸初期の造立年代、願主を明らかにしたものとしても価値が高い。(大田区教育委員会掲示より)
弘法大師坐像及び厨子
木造寄木造り、彩色、玉眼、像高44cm。
像底の銘文によれば、本像は当院三世の栄長が願主、道泉・妙蓮が施主となり、寛永12年(1635)に造立された。
この像を納める厨子には、扉の内側に、細密な筆致の大和絵風の彩画があり、これも同時代の作品と考えられる。
像の保存状態は良好であり、当区内における江戸時代初期在銘の弘法大師像として、厨子・扉絵と共に注目される。(大田区教育委員会掲示より)
東陽院の周辺図