明光山最徳寺|大田区大森北にある浄土真宗本願寺派寺院
最徳寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の最徳寺は、明光山と号します。最徳寺は、文暦元年(1234)鎌倉において(1234)藤原氏の一族永頓開基、権少僧都永順が開山したと伝えられます。徳川家康の関東入国(天正18年1590年)後に当地へ移転したといいます。
山号 | 明光山 |
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院号 | - |
寺号 | 最徳寺 |
住所 | 大田区大森北3-18-25 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
最徳寺の縁起
最徳寺は、文暦元年(1234)鎌倉において(1234)藤原氏の一族永頓開基、権少僧都永順が開山したと伝えられます。徳川家康の関東入国(天正18年1590年)後に当地へ移転したといいます。
「大田区の寺院」による最徳寺の縁起
開基の永頓は藤原氏の一族で、鎌子の玄孫内麻呂の子孫、相模国三浦郡野北郷五明山最宝寺の開基、明光の弟。初めは天台の僧であったが、兄に従い鎌倉において、親鸞に会い改宗する。文暦元年(1234)9月当地に住し、兄の名を山号として明光山智慧光院西蓮坊最徳寺と号した。なお、「新編武蔵風土記稿」によれば、開山は永順で、仁冶2年(1241)入寂、何世代かの後、永頓の時に、徳川家康関東入国を慕って、鎌倉より当地へ移ったとある。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による最徳寺の縁起
(不入斗村)最徳寺
境内二段四畝二十歩、字谷熊にあり、浄土眞宗、西本願寺末、明光山智惠院西蓮坊と號す、開山権少僧都永順は京都の人にて、俗姓は藤原氏なり、薙染の後鎌倉に来り當寺を彼の地に開闢し、その後仁治二年入寂せり、それよりそこばくの世數を歴て、永頓上人の時、東照宮關東入國ありしかば、やがて慕ひ奉りて鎌倉より當所へ移りしといひ傳ふ、中興開基了蓮律師は、享保の頃の人なり、本堂七間四面本尊阿彌陀如来は惠心僧都の作なりといふ、長二尺五寸、(新編武蔵風土記稿より)
最徳寺の周辺図
最徳寺の旧末寺
- 専浄寺(世田谷等々力)