森ケ崎観音法浄院|旧波除観音堂
森ケ崎観音法浄院の概要
単立寺院の法浄院は、三縁山と号し、森ケ崎観音として親しまれています。森ケ崎観音法浄院は、旧くから近くにあった波除観音堂を源流とします。空光和尚が昭和23年に観音堂に入堂、三縁山法浄院と称し、昭和41年宗教法人となったといいます。
山号 | 三縁山 |
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院号 | 法浄院 |
寺号 | - |
住所 | 大田区大森南5-1-18 |
本尊 | 白衣観世音菩薩 |
宗派 | 単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
森ケ崎観音法浄院の縁起
森ケ崎観音法浄院は、旧くから近くにあった波除観音堂を源流とします。空光和尚が昭和23年に観音堂に入堂、三縁山法浄院と称し、昭和41年宗教法人となったといいます。
境内掲示による森ケ崎観音法浄院の縁起
大正の頃までは現在より北方の海岸近くの葦原の中に建っていた波除観音堂であった。
森ケ崎が保養地として栄えるに及んで森ケ崎八景の一つと云われていた。
二ツ池のある公園の中に、昭和初期に有志の人々によって移築整備されて八重椿に囲まれた二間四面の観音堂となった。この境内には、享保十九年(1734)の石佛(浄心観世音)が祀られてあった。
その後昭和十三年八月二十四日、森ケ崎上空に於て、旅客機と練習機の接触によって八十五名の遭難者の出た大事故が起り、その慰霊の為の地蔵尊及び位牌が当院に安置された。
しかし無住であった為に戦中戦後と荒廃してしまった。
昭和二十三年春から夏にかけて、先代住職空光和尚の疎開先の、茨城県河内村の田舎屋に、巻物を持った身丈三尺ほどの青銅の白衣観世音菩薩が幾たびも現われて「汝我がみ堂に来れ、海辺ではあるが此の観音につくせ、霊験を授ける」と告げられ、海辺近くの二間四面の宝形造りのお堂を見せられた。どちらの観音さまであるかと考えていると、不思議な導きにより、当山の本尊観音さまであることがわかり、昭和二十三年十一月十三日入堂した。昭和二十五年観音誠心講を創立し、正式名称を「三縁山法浄院」とした。昭和三十一年五月二十一日空光和尚寂し、現住職となり昭和四十一年単立宗教法人本山法浄院を設立、今日に至った。(境内掲示より)
森ケ崎観音法浄院の周辺図