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谷戸閻魔地蔵堂|大田区大森西にある寺院

谷戸閻魔地蔵堂の概要

谷戸閻魔地蔵堂は、大田区大森西にある堂庵です。谷戸閻魔地蔵堂の創祀については不詳ながら、当地は「谷戸宿立場」と呼ばれ、品川宿と川崎宿の間にあたる休憩所だったそうで、堂内の地蔵尊は寛文5年(1665)の銘が残されているといいます。当時は「四日講」と呼ばれる講により護持されてきたものの、共に祀っている閻魔大王に因んで「五七日講」と改め、講・及び町会有志により護持されています。

谷戸閻魔地蔵堂
谷戸閻魔地蔵堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 谷戸閻魔地蔵堂
住所 大田区大森西5-27-7
宗派
葬儀・墓地 -
備考 -



谷戸閻魔地蔵堂の縁起

谷戸閻魔地蔵堂の創祀については不詳ながら、当地は「谷戸宿立場」と呼ばれ、品川宿と川崎宿の間にあたる休憩所だったそうで、堂内の地蔵尊は寛文5年(1665)の銘が残されているといいます。当時は「四日講」と呼ばれる講により護持されてきたものの、共に祀っている閻魔大王に因んで「五七日講」と改め、講・及び町会有志により護持されています。

新編武蔵風土記稿による谷戸閻魔地蔵堂の縁起

谷戸の閻魔大王・延命地蔵尊の由緒
江戸時代、東海道の品川宿と川崎宿の中間に位置する東・西・北の大森村の中に、「谷戸宿立場」と呼ばれた地域があり、馬繋ぎ場や水飲み場があって、人足や旅人が休息する場所で「間の宿」とも呼ばれていた。現在はバス停留所に「本宿」と言う名をとどめている。
この谷戸の地に、「四日講」の庶民信仰がいつの時代から生まれたのか、記録は残っていない。堂内のお地蔵さまには、寛文五年(一六六五)の銘があることから、凡そ三百四十年もの間、ここにお祀りされていたことになる。閻魔大王像には製作年代の明記はないが、像の古さから推測すると、幾多の戦火や災害を乗り越えて、損傷はあるものの、歴史が刻み込まれた像には、慈悲の微笑を感じてならない。
人が亡くなってから四十九日間を中陰という。五七日に当たる三十五日、亡者は閻魔大王の審判を受け、お地蔵さまのご慈悲におすがりして、仏への道を一歩一歩浄土へ近づくのである。
平成十六年六月、第一京浜国道の拡幅に伴い、お堂を新築いたし二像を東方へ向けて安置した。それに伴い地蔵尊が激しく傷んでいた為、平成十八年十二月に修復した。
長年親しまれてきた「四日講」の講名を、お地蔵さまと閻魔さまが共に、中陰の五七日忌の仏さまであることから、「五七日講」と改めた。乞い願くは、末長く国家安穏、万民和楽、谷戸の人々の子孫繁栄を祈念するものである。
平成十八年十二月吉日
五七日講・本宿町会有志(境内掲示より)


谷戸閻魔地蔵堂の周辺図