頓兵衛地蔵堂|新田義興謀殺に加担した船頭頓兵衛が冥福を祈って建立
頓兵衛地蔵堂の概要
頓兵衛地蔵堂は、大田区下丸子にある地蔵堂です。頓兵衛地蔵堂は、南北朝時代に新田義貞の子義興が矢口渡しで謀殺された際に、謀殺に加担してしまった船頭頓兵衛が、加担したことを悔いて、新田義興らの冥福を祈って建てたものだと伝えられることから頓兵衛地蔵と称されるようになったといいます。
山号 | - |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 地蔵堂 |
住所 | 大田区下丸子1-1-19 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
頓兵衛地蔵堂の縁起
頓兵衛地蔵堂は、南北朝時代に新田義貞の子義興が矢口渡しで謀殺された際に、謀殺に加担してしまった船頭頓兵衛が、加担したことを悔いて、新田義興らの冥福を祈って建てたものだと伝えられることから頓兵衛地蔵と称されるようになったといいます。
新編武蔵風土記稿による頓兵衛地蔵堂の縁起
(下丸子村)
地蔵堂に関する記載なし(新編武蔵風土記稿より)
新編武蔵風土記稿による頓兵衛地蔵堂の縁起
大田区文化財
地蔵菩薩立像(俗称「頓兵衛地蔵」)
頓兵衛は、この付近で起きた新田義興の謀殺事件をもとに、江戸時代につくられた浄瑠璃「神霊矢口渡」(平賀源内作)の話に、船頭役で登場する人物の名である。
この地蔵は、いつしか頓兵衛が謀殺に加担したことを悔いて、その冥福を祈って建てたものと伝えられ、新田義興に関わる伝説のひとつとなった。
義興の事件とは、南北朝時代に活躍した南朝方の勇将新田義貞の子義興が、延文三年(北朝)、正平十三年(南朝)(一三五八)、北朝の足利方にねがえった旧臣竹沢右京亮や江戸遠江守らに謀られ、矢口の渡しで舟を鎮められて悲惨な最期を遂げたというものである。(大田区教育委員会掲示(新編武蔵風土記稿より)
頓兵衛地蔵堂の周辺図