自性山宝泉寺|玉川八十八ヶ所霊場、東海三十三観音霊場
宝泉寺の概要
真言宗智山派寺院の宝泉寺は、自性山蓮耀院と号します。宝泉寺の創建年代は不詳ですが、祐賢(寛永9年1632年寂)が中興開山、覚厳(寛政10年1798年寂)が中興二世となったといいます。玉川八十八ヶ所霊場84番、東海三十三観音霊場23番です。
山号 | 自性山 |
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院号 | 蓮耀院 |
寺号 | 宝泉寺 |
本尊 | 木造大日如来坐像 |
住所 | 大田区南六郷2-26-12 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場84番、東海三十三観音霊場23番 |
宝泉寺の縁起
宝泉寺の創建年代は不詳ですが、祐賢(寛永9年1632年寂)が中興開山、覚厳(寛政10年1798年寂)が中興二世となったといいます。
「大田区の寺院」による宝泉寺の縁起
当寺の創建年代は詳かでないが、中興開山祐賢は寛永9年(1632)に寂している。その後火災のため堂宇悉く焼失したので、覚厳(寛政10年寂)により本堂等再建し、中興第二世といわれる。その後、時代とともに本堂も破損したので、昭和17年(1942)改築され、さらに戦後再建された。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による宝泉寺の縁起
(雑色村)宝泉寺
境内六畝七歩、東厨子の堤下にあり、新義真言宗、本郡高畑村寶幢院末、自性山蓮耀院と号す、開闢の年代を傳へず、中興開山は祐賢大和尚、寛永九年二月二十三日寂す、其後いつの頃か回禄に罹りて堂宇以下のこりなく烏有せしかば、時の住僧覚厳和尚と云し者力を盡して再造せり。故に此和尚をも又後の中興とす。本堂六間半に五間、本尊大日如来の木像を安ず、又弁天の像あり、昔は別に堂ありしが損壊の後廃して当寺に移せり。堂跡は畑となりたれば、今に弁天屋敷ととなへりと。(新編武蔵風土記稿より)
宝泉寺の周辺図