光明山遍照院|玉川八十八ヶ所霊場
遍照院の概要
真言宗智山派寺院の遍照院は、光明山無量寺と号します。遍照院の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿の編纂された文化文政年間(1804-1829)には一寺として成立していたといいます。また、玉川八十八ヶ所霊場64番、東海三十三観音霊場20番です。
山号 | 光明山 |
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院号 | 遍照院 |
寺号 | 無量寺 |
住所 | 大田区多摩川1-5-14 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場64番、東海三十三観音霊場20番 |
遍照院の縁起
遍照院の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿の編纂された文化文政年間(1804-1829)には一寺として成立していたといいます。
「大田区の寺院」による遍照院の縁起
戦火により記録類を焼失したので、明確には解らないが、古老のいうところによれば、明治初期には、藁葺の寺で、長く無住であったが、個人所有の墓や、無縁の墓、その他檀徒外の墓等、蒲田、新宿地区から集ったものもあるという。
「新編武蔵風土記稿」によれば、除地440坪、村の東の方にあり、高畑宝幢院末光明山無量寺と号し、開山開基を詳にしない。
境内に永享(1429-40)年中の古碑があるが、もとから当寺に建てられてあったものとも思われず、寺僧歴代の名も伝えられていないので、はじめはわずかな庵室でもあって、寺となったのは近き世のことであろうとある。
昭和45年(1970)環状8号線道路工事のため、寺有地のなかを道が通るようになり、地所が2分された。現在地に本堂並に庫裡を再建したのが、昭和46年(1971)7月である。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による遍照院の縁起
(安方村)遍照院
除地440坪。村の東の方にあり。新義真言宗、高畑村宝幢院の末寺なり。光明山無量寺と号す。開山開基を詳にせず。境内に永享年中の古碑あれども、もとより当寺にたてありし碑なりとも思はれず。寺僧歴代の名も傳へざれば、始はわづかの庵室などにて、一寺となりしは近き世のことなるべし。(新編武蔵風土記稿より)
遍照院所蔵の文化財
- 供養塔群(大田区指定文化財)
供養塔群
庚申供養塔延宝8年(1680)
念仏供養塔承応3年(1654)
庚申供養塔延宝8年(1680)
廻国供養塔正徳4年(1714)
庚申供養塔文化5年(1808)
これらの供養塔は、いずれも地元の小林村、安方村の村民が寄進造立したもので、江戸時代のこの地域における民間信仰の様相を示すものとして貴重である。
特に念仏供養塔は、阿弥陀如来像を陰刻した念仏供養塔としては区内最古のもので、中世板碑の遺風を伝えるものである。
古くから当寺境内に建てられていたが、寺域が「環八通り」の道路敷地となったため、整備後に現在地に移されたという。(大田区教育委員会掲示より)
遍照院の周辺図