青林山増明院|玉川八十八ヶ所霊場
増明院の概要
真言宗智山派寺院の増明院は、青林山金剛寺と号します。増明院は、高野山より下向した長誉阿闍梨(元禄年間1688-1703没)が開山、青山因幡守(延宝7年1679年没)が開基となり創建したと伝えられます。また、玉川八十八ヶ所霊場58番、境内には備前池田家の表門であったと伝えられる武家屋敷門が山門として使用されています。
山号 | 青林山 |
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院号 | 増明院 |
寺号 | 金剛寺 |
住所 | 大田区鵜の木1-15-5 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場58番 |
増明院の縁起
増明院は、高野山より下向した長誉阿闍梨(元禄年間1688-1703没)が開山、青山因幡守(延宝7年1679年没)が開基となり創建したと伝えられます。
「大田区の寺院」による増明院の縁起
寺伝では寛永2年(1625)長誉阿闍梨が高野山より下向し、青山因幡守(延宝7年2月15日没)の信頼を得、その援助で当寺を開創したと伝えている。「新編武蔵風土記」には開創以前に修験者が住んでいたことを記している。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による増明院の縁起
(鵜ノ木村)増明院
除地2段余、村の南なり青林山金剛寺と号す。新義真言宗高畑村宝幢院の末なり。御入国の頃はわづかなる寮にて修験者住めり。今の如く一寺となりし年暦は詳細にせざれど、開山長誉元禄年中寂すといへば、起立の年暦も推て知るべし。開基は青山因幡守なりといふ。中興開山映俊延享3年7月18日に寂せり。
門。東向、両柱の間8尺。
客殿。7間に5間。本尊大日如来座像、2尺1寸許なるを安置せり。
供養塔。境内にあり。碑文の末に、享保12年とあり。其文の大略は元禄12年の頃映俊と云僧此地に来りすみ、宝永年中に至りて再興のことを企て、山を 鑿ち地を掘りしに、供養の器と五股鉾を土中より得たり。其さまいと古雅にて、後世冶工の手になりしものとも見えず。思ふに此地の道場は古きことにて、戦国の頃兵火のためにやきのこりしもの、土中に埋もれしならんと云ことを彫りたり是等のことをもて見れば、御入国以前より修験のるいおりし寮なることしらるべきなり。
伊勢宮二ヶ所。一は境内背後の山上にあり。一は上り口にあり。共にわづかなる祠。
三島社跡。是も境内にあり。今は其処を三嶋の森と呼べり。
(新編武蔵風土記稿より)
増明院の周辺図