幡曜山円応寺|玉川八十八ヶ所霊場
円応寺の概要
真言宗智山派寺院の円応寺は、幡曜山恵門院と号します。円応寺の創建年代は不詳ですが、中世の古碑があったといい、古寺であるといいます。また、玉川八十八ヶ所霊場63番です。
山号 | 幡曜山 |
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院号 | 恵門院 |
寺号 | 円応寺 |
住所 | 大田区矢口3-21-15 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場63番 |
円応寺の縁起
円応寺の創建年代は不詳ですが、中世の古碑があったといい、古寺であるといいます。
「大田区の寺院」による円応寺の縁起
開創の年代、開基は不明である。戦前までは、板碑10数基があり、正応4年(1291)永仁3年(1295)刻銘のものがあったが、昭和20年(1945)4月の空襲で爆破され、永□年4月の銘あるもの1基が現存する。古い墓石は大正9年(1920)多摩川改修に際し、墓地を移転した時に、整理されたものと推察されるが、寛文4年(1664)3月、当寺発願のもとに供養建立した庚申塔があり、「古市之跡泥濘」云々の文字は、当時の惨状を伝えている。
明和から安永(1764~73)にかけての住職亮実代と、安政(1854~1859)年間の住職城賢代には、不動明王を安置して諸人の信仰を集め、また大師堂を建立して、毎年8月20日に宵念仏会を催し、参詣者各自の持寄った品物を交換する風習が、昭和12年(1937)頃まで行われていた。明治41年(1908)照雲代に、損傷甚しかった本堂を再建、大正7年に庫裡を再建したが、今次大戦の災害で悉く灰煙に帰し、現住により昭和22年(1947)再建、現在の本堂は昭和29年(1954)庫裡は昭和41年(1966)に新築されたものである。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による円応寺の縁起
(古市場村)円応寺
村内2段9畝18歩。村の南によりてあり。新義真言宗、高畑村宝幢院末、幡曜山恵門院と号す。開山の名及び年暦を傳へず。客殿8間に5間。本尊阿弥陀佛を安ず。座像にして長1尺3寸作しらず。(新編武蔵風土記稿より)
円応寺所蔵の文化財
- 庚申供養塔(大田区指定有形民俗文化財)
円応寺の周辺図