福田山花光院|玉川八十八ヶ所霊場
花光院の概要
真言宗智山派寺院の花光院は、福田山蓮花寺と号します。快智(延宝2年1674年寂)が開山となり創建、廃寺となった真福寺を合併したといいます。また、玉川八十八ヶ所霊場62番です。
山号 | 福田山 |
---|---|
院号 | 花光院 |
寺号 | 蓮花寺 |
住所 | 大田区矢口2-3-12 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場62番 |
花光院の縁起
花光院は、快智(延宝2年1674年寂)が開山となり創建、廃寺となった真福寺を合併したといいます。
「大田区の寺院」による花光院の縁起
「新編武蔵風土記稿」によれば、古くは福田山蓮花寺と称し、六郷宝幢院末で、開山快智は延宝2年(1674)示寂すとある。矢口新田神社の別当寺、同宗真福寺が、大正末年に廃寺となり、当寺に合併された。再三無住時代があり、長年住職をする者がなかった様子で、資料等皆無に等しく、また今次戦災で全焼したため、沿革を詳かにしえない。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による花光院の縁起
(今泉村)華光院
境内2段3畝、村の西北の間にあり。新義真言宗、同郡高畑村宝幢院末、福田山蓮華寺と号す。開山法印権大僧都快智延宝2年9月27日示寂す。客殿7間に5間半、本尊大日如来を安ず。
八幡宮。境内にあり、村の鎮守なり。勧請の年代を傳へず。社は4間四方、前に鳥居をたつ。両柱の間7尺、祭礼年々8月15日なり。(新編武蔵風土記稿より)
合併した真福寺について
(新田神社)別当真福寺
除地1段22歩、社地に隣れり。新義真言宗高畑村宝幢院末、義興山明王院と号す。昔はわずかなる庵室あり。其頃は神守院と号せしに、寛文年中検地ありし時除地を附けられ、つひに一寺となり。その後本尊不動を安置して今の院号に改めたり。開山の僧はその名を失す。中興開山宥真は寛保2年9月29日寂す。本堂10間に7間。社地の方へよりてあり。
寺寶。
縁起二幅。延宝4年正月松平求馬政種寄附す。林春斎之文にして上左兵衛庸書す。書は上野加卜筆なり。縁起の略は己に前にのせたり。元文元年4月11日淳信院殿邊御遊歴の時、大久保伊勢守を以台覧に供へしといひつとふ。(新編武蔵風土記稿より)
花光院の周辺図