勝利八幡神社|旧上北沢村の鎮守、旧村社
勝利八幡神社の概要
勝利八幡神社は、世田谷区桜上水にある八幡神社です。勝利八幡神社は、万寿3年(1026)京都八幡市に鎮座する石清水八幡宮を勧請、創建したといいます。旧本殿は、天明8年(1788)10月に大工高橋宇八らの手によって建築されたもので、世田谷区有形文化財に指定されています。後旧上北沢村村の鎮守として崇敬を集め、明治期には村社に列格していました。上北沢四丁目にあった山谷稲荷神社を明治40年に合祀、また天祖神社を合祀しています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | 宇迦之御魂神 |
境内社 | 天祖神社、稲荷神社 |
祭日 | - |
住所 | 世田谷区桜上水3-21-6 |
備考 | - |
勝利八幡神社の由緒
勝利八幡神社は、万寿3年(1026)京都八幡市に鎮座する石清水八幡宮を勧請、創建したといいます。旧本殿は、天明8年(1788)10月に大工高橋宇八らの手によって建築されたもので、世田谷区有形文化財に指定されています。後旧上北沢村村の鎮守として崇敬を集め、明治期には村社に列格していました。上北沢四丁目にあった山谷稲荷神社を明治40年に合祀、また天祖神社を合祀しています。
せたがや社寺と史跡による勝利八幡神社の由緒
祭神は応神天皇、稲荷大明神。御神体は戦いから帰ってきた馬上の姿をあらわしていると伝えられ、一般に勝利八幡の名でよばれている。「新編武蔵風土記稿」に「八幡社、村ノ中央ニアリ。八幡ノ勧請ハ万寿三年トイヒ伝フルメカリニテ、委シキコトノ、シレズ(中崎)此宮居ノ立シ所パスコシク高キ山ナリ。ソレモ自然ノ山ニアラズ。人作ヲモテ築キクテシナリ(中略)本社ハ二間四面、土ヲモリ上テ上二社ヲ作り、前二石段十五級ヲ設ク。ソノ前数歩ヲハナレテ鳥居ヲ建。云々」とある。いいつたえによると、はじめは天からふっできた「お伊勢さま」のお札を御神体としてまつってあったが、甲斐の武田氏と小田原の北条氏の合戦の後、小田原の武将鈴木氏一族が上北沢に移り住み、八幡社をまつるようになったというが、真偽はさだかではない。現在「元禄十二年奉納」の銘のある石灯籠などがあるが、山上の社祠は数回建て替えられ、戦後の修理の際、天明8年(1788)八幡宮宝殿再建の棟札、安政7年(1860)稲荷宮再建の棟札が発見された。社殿の中には「建天明八申十月足石奉納」の銘のある敷石の上に小さな祠が入っており、その中に祭神がまつってある。祭神ははじめ応神天皇のみであったが、明治41年に近くの稲荷大明神を合祀した。(せたがや社寺と史跡より)
勝利八幡神社所蔵の文化財
- 八幡神社(桜上水・上北沢)旧本殿(世田谷区指定有形文化財)
八幡神社(桜上水・上北沢)旧本殿
この八幡神社は、万寿3年(1026)に創建されたと伝えられる古社で、旧上北沢村の村社であった。
当所旧本殿は境内の中央に築山を築き、その上に覆屋を造り納められていたが、昭和43年に新本殿を建設した際、築山を崩し、旧本殿を参道脇に移された。
旧本殿は、全面を唐破風付向拝とした一間社である。向拝には七級の木階を設けている。向拝柱の上部には象鼻を付け、その上に連三斗組を置き、桁を受ける。
正面と両側面に高欄付の切目縁を回し、脇障子を付けている。
身舎柱は切目長押、内法長押を回し、頭貫に木鼻を付け、連三斗組を置く。中備は蟇股を置き虹梁を受ける。また、妻飾には虹梁の上に大瓶束、連三斗組を置き棟木を支える。
各斗栱や彫物は胡粉の上に彩色を施こし、また身舎部分は弁柄塗りにするなどの装飾が施され、小社でありながら本格的な社殿建築としている。
また、象鼻や蟇股などの形状は上品に仕上げられ、室町風の趣がある。
旧本殿には棟札が残り、天明8年(1788)10月に大工高橋宇八らの手によって建てられたものであることが分かる。
この建物は、区内に残る本殿では最古のもので、その建築技法や納まりは高い力量を持った宮大工の技術であり、建築史上貴重な遺構をいえる。(世田谷区教育委員会掲示より)
勝利八幡神社の周辺図