瀬田玉川神社|戦国時代創建、旧称御嶽神社
瀬田玉川神社の概要
瀬田玉川神社は、世田谷区瀬田にある神社です。瀬田玉川神社は、永禄年中(1558~70)に創建と伝えられ、寛永3年(1626)に字下屋敷から字滝ケ谷辺へ遷座したといいます。明治7年村社に列格、明治41年社号を御嶽神社から玉川神社へ改号しました。
社号 | 瀬田玉川神社 |
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祭神 | 大己貴命・日本式尊・少彦名命 |
境内社 | 祓戸神社,三峯神社 |
相殿 | - |
祭日 | 例大祭10月第2日曜日 |
住所 | 世田谷区瀬田4-11-31 |
備考 | 旧村社、旧別当:慈眼寺 |
瀬田玉川神社の由緒
瀬田玉川神社は、永禄年中(1558~70)に創建と伝えられ、寛永3年(1626)に字下屋敷から字滝ケ谷辺へ遷座したといいます。明治7年村社に列格、明治41年社号を御嶽神社から玉川神社へ改号しました。
新編武蔵風土記稿による瀬田玉川神社の由緒
(慈眼寺)境内南の方にあり。今神体なし。社僧相傳て云、此れ社の神体は剣を持て五大尊の形に似たるものなり。昔土人地中より掘出し其所へ社を建て祭り置しが、さまざまの奇怪あり、或いは社前を馬などにのりて過しかば、その咎めにや思はず怪我せし者も有しとて、又土中に埋めをけり。是は寺院此地にうつりしよりは七八十年も以前のことなりと。其上に一つの小社を営み立、是今の社なりと。
古の宮地も耕地の内に古宮の地とて残れり。本社は三間四方なり。神鏡を前に立熊野稲荷氷川第六天疱瘡神の小祠を相殿とす。前に鳥居あり。両柱の間8尺又向て左の方に天神稲荷の末社あり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による瀬田玉川神社の由緒
祭神は大己貴命・日本式尊・少彦名命で、創立は永禄2年(1559)10月といわれている。
境内には末社として、祓戸神社、三峯神社を祭り、その祭神は祓戸4柱神・大己貴命である。神社の由緒書によれば「永禄年中(1558~70)該村字下屋敷へ勧請す。その後、寛永3寅年(1626)字滝ケ谷辺の現在位置へ長崎四郎左衛門嘉国之を遷座す。口伝、同村真言宗慈眼寺権大僧都源長を始めて別当となし、明治七年四月二日村社に定められ、明治四十年五月四日神饌幣帛料供進指定社に列す。明治四十一年四月一日前称御嶽神社を地名により玉川神社と改称し、現在に至ると」ある。
祭礼は10月20日の例大祭、11月28日新嘗祭、2月20日祈年祭が行なわれている。(境内掲示より)
瀬田玉川神社の周辺図