八幡山森巖寺|結城中納言秀康卿の位牌所として創建
森巖寺の概要
浄土宗寺院の森巖寺は、八幡山浄光院と号します。森巖寺は、結城中納言秀康が帰依した越前国一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼、万世和尚の弟子孫公和尚が結城中納言秀康卿の位牌所として、慶長13年(1608)当地に創建したといいます。当寺淡島堂は、孫公和尚が紀州(和歌山県)名草郡加田の淡島明神の分霊を勧請したもので、数多くの崇敬を集めたといいます。
山号 | 八幡山 |
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院号 | 浄光院 |
寺号 | 森巖寺 |
住所 | 世田谷区代沢3-27-1 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
森巖寺の縁起
森巖寺は、結城中納言秀康社(浄光院殿黄門森巌道慰運正居士)が帰依した越前国一乗寺の万世和尚に一寺の創建を依頼、万世和尚の弟子清誉存廓孫公和尚が結城中納言秀康卿の位牌所として、慶長13年(1608)当地に創建したといいます。当寺淡島堂は、孫公和尚が紀州(和歌山県)名草郡加田の淡島明神の分霊を勧請したもので、数多くの崇敬を集めたといいます。
せたがや社寺と史跡による森巖寺の縁起
森巌寺 代沢3-27-1
八幡山浄光院森巌寺と号し、慶長13年(1608)結城中納言秀康卿の位牌所として建立された。浄土宗である。開基秀康卿は徳川家康の2男で豊臣秀吉の養子となったが、天正18年(1590)秀吉の命によりあらためて下総の結城家を継ぎ結城を姓とした。慶長5年(1600)関ケ原の合戦の後、本姓松平に帰し、越前国福井67万石の封を受け同12年(1607)閏4月8日越前に没した。なお長子忠直は菊池寛の小説「忠直卿行状記」で世に知られる。秀康卿は越前国一乗寺の万世和尚に帰依し臨終にのぞみ黄金若干を賜い自分のためー寺を造営するよう命じたが、万世和尚も年老いていたので弟子の孫公和尚に建立を命じた。和尚は好地を求め巡錫し当地に至りー寺を建立、秀康卿の法名浄光院殿森巌道慰運正大居土により浄光院森厳寺と名づけた。当寺建立が下北沢村の開墾者吉良氏の遺臣膳場将監の協力によることはその墓碑銘に明らかである。しかし当寺を著名ならしめたのは境内淡島明神の灸である。
開山清誉孫公和尚は紀州の生れで常に腰痛の持病になやんでいたが、ある夜、夢中に産土神(うぶすながみ)紀州(和歌山県)名草郡加田の淡島明神のお告げによる灸治を行ない積年の苦しみをまぬがれた。そこで上人は加田の淡島明神に分社の許しを請い境内に勧請し、代々の住職が灸治の法を相伝え毎月3・8の日に諸人に施した。この灸は特に脚気、リューマチ、神経痛に特効があると人気を集め、月6回の灸治の日には数千を数える人が集り商家などもならび門前町のにぎわいを見せたという。今境内に残る石灯寵.天水桶、狛犬などは盛時の姿をしのばせる。現在3・8の日に灸治の求めに応じ昔の名残りを留めている。
創建時の堂屋は文化9年(1812)に炎上し、天保15年に再興したが、昭和39年の再度火災により焼亡した。再興時の建物は淡島明神社一宇を残すのみである。明神社内陣天井の晴水養広筆の天女の図は再興時のものと思われる。
なお境内の針塚において毎年2月8日には、針供養が行なわれる。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による森巖寺の縁起
(下北沢村)森厳寺
除地七石四斗餘、八幡社の側にあり、浄土宗京都知恩院の末、八幡山浄光院と號す、開山清誉存廓孫公和尚明暦元年七月一日示寂す、開基は結城中納言秀康卿なり、寺傳に云孫公和尚の師は萬世和尚といひ、越前國一乗院に住職せり、中納言殿常に萬世に帰依したまひしが、かの卿慶長十二年四月八日御終焉の期に臨ませ給て、黄金若干を賜ひ當國にして一寺を造営せんことを遺命ありしに、萬世和尚も齢ひ傾きて其事をはかばかしくならざれば、又弟子孫公和尚師の命ありしゆへ、師の意をうけて當寺を開山せりと。秀康卿法號浄光院殿黄門森巌道慰運正居士と諡をもて、當寺を浄光院森巌寺と號せりと、境内七石四升の地もとの地頭斎藤摂津守より寄附せし除地にて、夫より引続き御代官所となりし後は公よりの免除地となれり、本堂は近き頃火災のためにうせしかば今は礎のみをのこせり、本尊阿弥陀如来春日の作、二菩薩は宇治平等院造作の彫物なり、是等皆火災の後西の方耕地をへだてて當寺墓所の側なる小庵にかりに置けり。
地蔵菩薩。立像の古佛此庵の本尊あり。霊験いとあらたにて庵主の僧破戒のことあれば必其責をうくるなど里人はいへり。
淡島社。當社は境内の正面にあり、此明神は世の人あまねく信ずる所にして、疾あるものは祈願などかけて常に参詣のもの多かり、是も回禄にかかりたれば今は仮殿に移せり、されど今もまうつる人はたえず、ここにをさむる縁起あれどもとるべきことなく、其上近き頃のものなればもらしぬ、本社の正面に石の鳥居のこれり、其傍にものあきなふ家なども多くありて、遠くよりまうでくる人は必ここにいこへり。(新編武蔵風土記より)
森巖寺の周辺図