真光寺|世田谷区給田にある天台宗寺院

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富元山真光寺|本郷薬師、戦後当地へ移転

真光寺の概要

天台宗寺院の真光寺は、富元山瑞泉院と号します。真光寺は、慈覚大師が嘉祥2年(848)開山したと伝えられ、その後清賢法印が寛永14年(1636)中興したといいます。江戸時代には本郷にあり、藤堂家の菩提寺となっていた他、「本郷薬師」として崇敬を集めたといいます。第二次世界大戦により被災、当地へ移転したといいます。

真光寺
真光寺の概要
山号 富元山
院号 瑞泉院
寺号 真光寺
住所 世田谷区給田1-19-9
本尊 薬師如来像
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



真光寺の縁起

真光寺は、慈覚大師が嘉祥2年(848)開山したと伝えられ、その後清賢法印が寛永14年(1636)中興したといいます。江戸時代には本郷にあり、藤堂家の菩提寺となっていた他、「本郷薬師」として崇敬を集めたといいます。第二次世界大戦により被災、当地へ移転したといいます。

境内掲示による真光寺の縁起

中興後、昭和二十年(終戦まで)文京区本郷四丁目にあり、藤堂家(祖は、高虎公・三十五万石)の菩提寺として栄え、特に「本郷薬師」として信仰を集めました。毎月八日、十二日、二十二日の縁日は、江戸の三縁日の一つに数えられ、多くの露店が並びにぎわいました。その様子は、樋口一葉の日記(一葉日記)、二葉亭四迷「其面影」、泉鏡花「婦系図」、玉川一郎「大正・本郷の子」に描かれています。
昭和二十年三月十日の東京大空襲により、堂宇伽藍、宝物ことごとく硝煙と化しましたが、幸いにも「薬師如来像」、「阿弥陀如来像」(頭部)はその難を逃れ、当給田の地に顕現され、本堂に安置されております。また、奥には藤堂家ゆかりの「栄壽地蔵尊」、「心光院殿地蔵尊」、「白衣観音」が安置されております。どうぞ、ご自由にお参り下さい。(瑞泉院・真光寺掲示より)

「本郷區史」による真光寺の縁起

眞光寺
本郷四丁目に在り、富元山瑞泉院と號し延暦寺末に屬する。往古慈覺大師の草創と傳ふ。法印清賢(寛文十二年寂)藤堂高虎を檀越として之を再興し、藤堂家裏方の菩提寺となり兼て根津権現の別當となつた。寺内に薬師堂あり本尊は慈覺大師の作といふ。縁日八日、二十二日。(「本郷區史」より)


真光寺の周辺図