正法寺|世田谷区松原にある浄土真宗本願寺派寺院

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伏見山正法寺|昭和4年築地から当地へ移転

正法寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の正法寺は、伏見山と号します。元和2年(1616)京都伏見白川郷にある伏見山白川寺の住職某の次男が浜町に創建、明暦3年築地本願寺内寺町へ移転、昭和4年当地へ移転しました。

正法寺
正法寺の概要
山号 伏見山
院号 -
寺号 正法寺
住所 世田谷区松原5-43-30
本尊 阿弥陀如来
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



正法寺の縁起

正法寺は、元和2年(1616)京都伏見白川郷にある伏見山白川寺の住職某の次男が浜町に創建、明暦3年築地本願寺内寺町へ移転、昭和4年当地へ移転しました。

せたがや社寺と史跡による正法寺の縁起

正法寺
本尊は、阿弥陀如来、総丈約30cm余、江戸時代初期頃の作といわれる。寺宝としては親鸞聖人の書、六字名号、弥陀三尊の護持仏、無銘狩野派某描くところの十六羅漢、他に度牒数通、寺社奉行嶋田讃岐守よりの通達書状数通、狩野永濯の画幅および同人の下絵10数点。開山以来の過去帳数冊等を蔵している。親鸞を宗祖とする西本限寺派の浄土真宗である。開山は京都伏見の白川郷の、伏見山白川寺の住職某の次男で、元和2丙辰年(1616)江戸に下向し、浜町に一宇を建立し、おる事約50年、次いで明暦3丁酉年(1657)築地本願寺内の寺町、55か寺群の内の一つとして移り約300年ここにあった。その間に8回も火災にあっており、関東大震災には堂宇は崩壊し、寺宝、仏器具、旧記等多数焼失してしまい、僅かに、本尊、過去帳、旧記の一部等を、笈に入れて背負い難を逃れ得た。震災後同地区の区画整理により、昭和4年墓と共に現在地に移転してきた。同年外見寺院らしからぬ、鉄筋コンクリートのモダーンな現本堂を新築した。現住は浜町開山以来11代目の世襲である。先代の嘉元氏は明治時代築地本願寺の積徳教学(本願寺関係の学問所)に参列出張教授していた。過去帳の中に文久2壬成年(1862)この年ハシカ大流行と記され幼児が多数死亡している。又2字戒名で下欄に俗名及び生前の職業等が明細に記載されていて、髪結、鳶人足、舟大工、左官等江戸時代所謂雑民として扱われていた階層の人々が多く、当時築地地域町家の模様を窺い得て貴重である。(せたがや社寺と史跡より)


正法寺の周辺図