高輪山浄立寺|慶長年間高輪に創建、昭和4年築地から移転
浄立寺の概要
浄土真宗本願寺派の浄立寺は、高輪山と号します。浄立寺は、釈念西法師(慶長元年1596年没)を開基として高輪に慶長年間(1596-1615)創立、元和3年(1617)築地本願寺地内へ移転したといいます。関東大震災に被災、その後の区画整理に伴い、昭和4年当地へ移転したといいます。
山号 | 高輪山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄立寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 世田谷区桜丘5-50-22 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | 浄立寺会館 |
備考 | - |
浄立寺の縁起
浄立寺は、釈念西法師(慶長元年1596年没)を開基として高輪に慶長年間(1596-1615)創立、元和3年(1617)築地本願寺寺地内へ移転したといいます。関東大震災に被災、その後の区画整理に伴い、昭和4年当地へ移転したといいます。
せたがや社寺と史跡による浄立寺の縁起
浄立寺
浄土真宗本願寺派高輪山浄立寺と称する。本尊阿弥陀如来木彫立像、開基釈念西法師慶長元年(1596)丙申六月六日没し、本尊の右に親費上人の画像、左に蓮如上人画像が祀ってある。創建年月は不詳慶長年間(1596-1615)に高輪町(港区)に創立されたため、山号を町名からとった寺と思われる。その後本願寺別院が浅草横山町に創建された。「築地本願寺遷座三百年史」によるとこの別院は浜町御坊矢の倉御坊とも呼ぴ伝えた。築地御坊が横山町にあった時代は地中(末寺)の寺院はわずか18カ寺であったが築地移転後は53カ寺に増加した。この寺も元和3年(1617)に転入したー寺であった。本願寺の江戸別院横山町に創建以来明暦3年(1657)1月18日振袖火事にあい、この大火により別院はととごとく烏有に帰した。後今日まで310年を経過したがその間地中寺院とともに度々の大火にあい第1回は元禄8年(1695)12月26日数寄屋町から火を発し木挽町まで焼失、地中寺院58カ寺全部焼失した。第2回は享保3年(1718)5月1日鍛治橋から出火して新橋辺まで焼失50余寺院残らず焼失、第3回は宝暦6年(1756)11月築地武家屋敷から出火して類焼32ヵ寺院といわれる。その後さらに天明4年(1784)12月2日文政12年(1829)3月21日にも大火あり、50余寺ほとんど焼失したと記録にある。さらに大正12年関東大震災によってことごとく全焼した。かくして当寺は昭和4年に現在地に建立、度々の火災にもかかわらず寺の宝物である親鷲上人・蓮如上人の画像蓮如上人の六字名号などは無事保存されている。本堂は昭社39年鉄筋コンクリー卜建60坪(198m2)、庫裡60坪(198m2)、墓地400坪(1320m2)、境内(2475m2)、現世第17代である。(せたがや社寺と史跡より)
浄立寺の周辺図