九品山浄光寺|世田谷代官大場家墓所
浄光寺の概要
浄土宗寺院の浄光寺は、九品山往生院と号します。文安元年(1444)専蓮社然誉上人補阿源公大和尚が開山したと伝えられます。境内墓地には世田谷代官大場越後守信久以下歴代代官の墓所があります。
山号 | 九品山 |
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院号 | 往生院 |
寺号 | 浄光寺 |
住所 | 世田谷区世田谷1-38-20 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | 永代供養墓受付 |
備考 | - |
浄光寺の縁起
浄光寺は、文安元年(1444)専蓮社然誉上人補阿源公大和尚が開山したと伝えられます。境内墓地には世田谷代官大場越後守信久以下歴代代官の墓所があります。
せたがや社寺と史跡による浄光寺の縁起
浄光寺
九品山往生院浄光寺と称する浄土宗の寺で、寛政7年(1795)本堂の裏から出火したため資料となるべきものはほとんど消失してしまった。現在の本堂は寛政8年(1796)の建立で茅茸であったが、昭和28年瓦茸に変えたままで今日に至っている。
開山は専蓮社然誉上人称阿源公大和尚、文明7年(1475)9月15日没で現住で26代を数えている。
本尊は尺余りの阿弥陀如来像である。南側の基地には世田谷代官の祖、大場越後守信久以下歴代代官の墓がある。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による浄光寺の縁起
(弦巻村)浄光寺
境内除地8段。小名本村にあり。浄土宗江戸芝西応寺の末、九品山と号す。文安元年の起立なり。開山専蓮社然誉上人補阿源公大和尚、文明7年9月15日の示寂と傳れば、旧き寺院なり。本堂5間に6間。東向本尊阿弥陀如来坐像2尺なるを安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)
浄光寺の周辺図