渋谷山福昌寺|閻魔寺、区指定文化財の阿弥陀石棺仏
福昌寺の概要
曹洞宗寺院の福昌寺は、渋谷山と号します。福昌寺は、僧桂岩嫩(慶長2年1597年寂)が開山となり、当地に創建したといいます。当寺には閻魔像があったことから、閻魔寺とも称されたといいます。
山号 | 渋谷山 |
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院号 | - |
寺号 | 福昌寺 |
住所 | 渋谷区東3-10-13 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福昌寺の縁起
福昌寺は、僧桂岩嫩(慶長2年1597年寂)が開山となり、当地に創建したといいます。当寺には閻魔像があったことから、閻魔寺とも称されたといいます。
新編武蔵風土記稿による福昌寺の縁起
福昌寺
禅宗曹洞派、江戸下谷高岩寺末。渋谷山と号す。寛文10年火災にかかりて起立の年代は傳へされと、開山桂岩嫩慶長2年10月29日寂す、又大猷院殿の御代、時の住僧耕国願ひ上拝領地となりしよし傳ふ、本尊弥陀の立像1尺8寸、慈覚大師の作。貞享2年記せし縁起に貞観2年3月15日円仁の造立せしことは載たれと、伝来詳かならず。
鎮守堂、役行者の石像及十王白衣観音を安す。
衆寮
鐘楼、寛永4年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
新編武蔵風土記稿による福昌寺の縁起
福昌寺(中通一丁目一六番地)
曹洞宗、山号を澁谷山という。寛文十年の火災で、記録類を焼失し、起立の次第は詳でない。開山は桂岩宗嫩という。慶長三年十月に寂したのであるから、それ以前に建てられたので、由緒は相当に古い。下谷高岩寺末。境内千九百七十四坪。本尊釈迦如来。伝慈覚大師の作。境内には、閻魔堂、鎮守堂、衆寮鐘楼があつた。閻魔堂があるので、俗に閻魔寺という。焼失前の堂舎は、昭和十年の改築である。また澁谷日曜学校、福昌保育園などを経営していた。(新編武蔵風土記稿より)
福昌寺所蔵の文化財
- 阿弥陀石棺仏(渋谷区指定有形文化財)
阿弥陀石棺仏
石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、その内側に仏像を彫り込んで、庶民が礼拝の対象としたものです。
本石棺仏は、 家型石棺の蓋を利用し、その内側に阿弥陀如来立像が蓮台の上にあらわされ、彫りの浅い舟形光背を備える形で刻まれています。
阿弥陀如来立像が彫られた時期は、その像容やほかの作例の年紀から南北朝時代と考えられます。
本石棺蓋の材質は、兵庫県高砂市・加西市付近を産地とする播磨竜山石系と考えられ、そのなかでも加西系に近い高室石と想定されます。
伝来の詳細については不明ですが、和歌山県那賀郡から運ばれて来たとされるこの阿弥陀石棺仏は、昭和25年に造園業の東光園が入手して、福昌寺に寄進しました。
現存する阿弥陀如来が彫られた石棺仏の多くが坐像であり、本石棺仏のような立像形は珍しいようです。
福昌寺の周辺図