青野山慈光寺|赤坂一ツ木に元和元年(1615)創建
慈光寺の概要
浄土真宗系単立寺院の慈光寺は、青野山と号します。慈光寺は、岡崎(三河国青野)慈光寺48世智鏡が江戸に上京、赤坂一ツ木に元和元年(1615)創建、元禄8年(1695)当地に移転したといいます。
山号 | 青野山 |
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院号 | - |
寺号 | 慈光寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土真宗系単立 |
住所 | 渋谷区神宮前2-3-2 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慈光寺の縁起
慈光寺は、岡崎(三河国青野)慈光寺48世智鏡が江戸に上京、赤坂一ツ木に元和元年(1615)創建、元禄8年(1695)当地に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による慈光寺の縁起
(上渋谷村)慈光寺
浄土真宗東本願寺末、青野山と號す、開山知鏡三河国青野村慈光寺の住僧にて、後年江戸に来り、元和元年赤坂一木町にて一寺を起立す、今三河国にも同寺號の梵刹ありと云、山號は在所の地名に依れり、其後一木町の内小名大澤町に遷り、元禄八年又當村に遷れり、社地は飛地にて、原宿千駄谷両村に接す、本尊阿弥陀の立像長一尺六寸五分、親鸞の作と傳へ、三河国より持来りしものと云、
什寶十字名號一幅。紺髪金泥にて親鸞の筆と云傳ふ、此餘蓮如上人十歳の筆、祖師及び聖徳太子の画像を蔵せり。
鐘楼。鐘は安永三年の鋳造なり。(新編武蔵風土記稿より)
「渋谷区史」による慈光寺の縁起
慈光寺(原宿一丁目七三番地)
真宗、山号を青野山という。元和元年創立。開基僧智鏡。三河国碧海郡青野村慈光寺四十八世の住職。徳川家康に従つて江戸に来り、元和元年赤坂一ツ木に一寺を建立し、在所の地名を山号に取つて、青野山慈光寺と称した。元禄八年、焼亡の後、現在の場所に移る。境内千四百坪。本尊阿弥陀如来。伝親鸞作。徳川時代には、家康との関係から葵の紋を許され。家康家治の位牌を安置し、鐘楼には、安永三年六月と在銘の大鐘があつた。安政六年再び焼亡、明治維新後、荒廃していたのを、住職名倉和嘉に至て、にわかに復興したけれども、本堂その他は、まだ寺院の体を為していなかつた。(「渋谷区史」より)
慈光寺の周辺図