法雲山仙寿院|紀伊藩徳川頼宣の生母お萬の方の発願、新日暮の郷
仙寿院の概要
日蓮宗寺院の仙寿院は、法雲山と号します。仙寿院は、正保元年(1644年)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方(法名養珠院妙紹日心大姉)の発願により、里見日遥(安房の太守里見義康の次子)を開山として創建したといいます。江戸時代には、鬼子母神、大黒天、花山明神、稲荷弁天などの堂社及び鍾樓があり、またその庭園は、新日暮の郷と称せられて、特に有名だったといいます。
山号 | 法雲山 |
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院号 | 仙寿院 |
寺号 | - |
住所 | 渋谷区千駄ヶ谷2-24-1 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
仙寿院の縁起
仙寿院は、正保元年(1644年)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方(法名養珠院妙紹日心大姉)の発願により、里見日遥(安房の太守里見義康の次子)を開山として創建したといいます。江戸時代には、鬼子母神、大黒天、花山明神、稲荷弁天などの堂社及び鍾樓があり、またその庭園は、新日暮の郷と称せられて、特に有名だったといいます。
境内掲示による仙寿院の縁起
当山は、正保元年(1644年)紀伊の太守徳川頼宣の生母お萬の方(法名養珠院妙紹日心大姉)の発願により里見日遥(安房の太守里見義康の次子)を開山として創立された。従って江戸期は、紀伊徳川家、伊予西条松平家の江戸表における菩提寺祈願所として、十万石の格式をもって遇せられ、壮大な堂宇と庭園は江戸名所の一つに数えられ、新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれていた。
お萬の方は、徳川家康の側室で紀伊徳川家の祖、頼宣水戸徳川家の祖、頼房の生母でもあり、また法華経の信仰篤く日蓮宗門の大外護者として知られている。
開山里見日遥(一源院日遥上人)は、後に飯高檀林へ招かれ多くの法弟を育成し、更に越後村村田妙法寺へ瑞世した。日遥を祖とする千駄ヶ谷法類は、当山を縁頭寺とする。
江戸期において隆盛を誇った当山も明治維新の変革によって衰微し、明治十八年には火災によって全山焼失、その後里見日玞により復興されるも、昭和二十年戦災で再び全山焼失した。更に昭和三十九年東京オリンピックの道路工事などによって寺観は一変したが、昭和四十年には本堂・書院を再建、昭和五十九年には書院・客殿を増改築し、昔日には遠く及ばずながら復興し現在に至っている。(境内掲示より)
「渋谷区史」による仙寿院の縁起
仙壽院
日蓮宗、法雲山東漸寺仙寿院という。院号を以て世に行われている。甲州巨摩郡本遠寺末。はじめ寛永五年、紀州家の山屋敷(赤坂喰違屋敷の一部)に草庵が設けられ、正保元年十一月現在の場所に移して寺としたことが、文政の書上にあるけれども詳細の事実は伝わつていない。「江戸名所図会」によれば、
當寺は紀州頼宣公御母堂養珠院日心大姉、正保紀元甲申草創あり。當寺の鬼子母神は、同大姉の延嶺(甲州身延山)にして、霊示を感じ。大野の邊の土中に得られて後、當寺開創、落成の日、安置ありしとなり。
と記されている。養珠院は、徳川家康の側室阿萬の方、頼宣及び水戸藩主徳川頼房の生母であつた。但阿萬の方と、仙寿院の関係については、南紀徳川史にも見えていない。暫く伝説として掲げておく。
江戸時代には、境内四千六百五十三坪。鬼母神、大黒天、花山明神、稲荷弁天などの堂社及び鍾樓があり、またその庭園は、新日暮の郷と称せられて、特に有名であつた。林泉の美、谷中日暮里に似ているからである。庭中には桜樹が多く、花の頃は、遊客が群衆して、非常の賑を呈し、田楽、団子などを商う酒樓もあつた。本堂の前にあるのを泰山府君という、名木と称せられた。また北條松と呼ばれる古松と、芭蕉の句碑とがある。句碑は、寛政十二年、白兎園門人宗宇、萬屋五兵衛の建てるところ、芭蕉塚、椎塚などゝいわれた。椎塚の称は、附近に大きな椎の樹があるからであろう。北條松の由来は詳かでない。「十方菴遊歴雑記」に。
祖師堂の前に、方十間餘に蔓れる雌松有、高サも一丈餘、藤棚を造り、枝々を這せ、其棚下を通し、松か枝の裏をみる。尤古松にして、裏見の松などゝ名付けても可ならんか。
とあり、「東京近郊名所図会」に、
堂の東南に、二圍餘の老松あり、其枝左右に張ること、六七あいだ、其風姿見るべし。
と見えている。なお庭中の光景は、「江戸名所図会」に、その図が載せてある。門前を流れるのは澁谷川である。
庭園の美を以て称せられた仙寿院も、明治の初年、住職の奢侈遊逸に原因して、漸く衰へ、同十八年には紊乱の極、放火するものがあり、堂宇焼失、同二十年、仮建築が出来たが、それも同三十八年、再び火災に罹り、間もなく再建せられたのが戦災までの建物である。鬼子母神の像は、本堂の内に移され、その他の諸堂舎は、既に滅び、新日暮里は宅地と化し、老松は枯死して、残骸を留めるに過ぎない。工学博士寺野精一の墓がある。(「渋谷区史」より)
仙寿院所蔵の文化財
- 銅板日遙墓誌(区指定有形文化財)
仙寿院の周辺図